死体腎、生体腎に続く「第三の道」として、病気で摘出した腎臓を移植していた宇和島徳洲会病院泌尿器科部長、万波誠医師(66)。腎移植に対する強烈な信念と、それを裏打ちする高度な技術に傾倒した弟やその友人らによって「瀬戸内グループ」が形成され、特異な道を歩んでいった。なぜ約十五年間もの間、問題視されないまま病気腎移植は続いたのか―。 二〇〇四年三月まで勤務していた市立宇和島病院ではチームで腎移植に取り組んでいた。スタッフに手術内容を説明していたという万波医師。その中に「問題あり」と異議を唱える人は「おらん。どうしてゆうたら私が上やったから」(同医師)。 腕まくりした白衣にスリッパ履き、両手をポケットに入れたまま歩く。「清貧を地でいく赤ひげ先生」が多くの患者の評判。だが、ひとたび移植手術が始まると変わる。「尿管、血管一つ切るのも的確で無駄な動きがない。そばで見るだけで勉強になった」。かつて万波医師