タグ

評論とアニメに関するNATSU2007のブックマーク (4)

  • 藤森かよこの日本アイン・ランド研究会―論文『ディズニー・アニメーションとフェミニズムの受容/専有』

    4 『ムーラン』と日 以上,『ムーラン』におけるフェミニズム表象の可能性と危険性について指摘されたのであるが,最後に,日における『ムーラン』の特異な危険性について,論じたい。それは,日におけるフェミニズムの困難さと通底する問題である。 実は,ムーランのような女性像は,日人にとっては「懐かしい女性像」ではなかろうか。ここで,もう一度,『ムーラン』と日アニメ『もののけ姫』の関連について思い出してみたい。デイズニー・アニメ側が『もののけ姫』に刺激されたと仮定して,彼らを刺激したその様相は,野生の少女サンやタタラ衆を率いる女頭領エボシのアメリカ人にとっての異文化の魅力もあいまった新鮮な勇姿であったろう。「守られるお姫さま」も美しいが,「守るお姫さま」は,守ってあげる面倒がないだけにもっと美しい。しかし,日は,伝統的に「守られるお姫さま」はいない文化なのである。 1998年にニューデリー

    NATSU2007
    NATSU2007 2012/06/02
    ディズニー「ムーラン」と宮崎アニメから、日本は"伝統的に「(男を)守るお姫さま」の文化"である事、「戦闘美少女」希求は、母なる少女を利用して母に支配されず母性を搾取する捻れた支配欲である事が論じられている
  • 『SF作家オースン・スコット・カードのコラム「私のカウボーイ・ビバップ」』という記事の「翻訳」はデタラメですよ

    ハリイカの焼売と中華炒め ハリイカをよく、見かけるようになりましたよ。生け簀で、泳いでいたものを一杯購入しました 立派な大きな墨袋や肝は冷凍保存して 柔らかな身は季節のお豆、お野菜と合わせて中華の炒めものに。新鮮なにんにくの茎は刻み、香り高く欲そそられますね 下足はミンチにし…

    『SF作家オースン・スコット・カードのコラム「私のカウボーイ・ビバップ」』という記事の「翻訳」はデタラメですよ
    NATSU2007
    NATSU2007 2011/04/26
    DVDを買わせたかったのは翻訳者だったと。しかし海外のビバップ人気はSF作家にまで及ぶか。/日本のアニメキャラのリアリティには定評あり。実写が進歩しなかった分、絵のキャラにどれだけ命を吹き込めるかが勝負だから
  • 「まどか☆マギカ」が描く少女至上主義 〜少女の感情は救いをもたらすのか〜 - たまごまごごはん

    やあ! みんな大好きキュゥべえだよ! エントロピー! みんなぼくのことをボコボコにしたいとか言ってるみたいだけどぼくは宇宙のバランスのために頑張ってるんだよ。 むしろ褒めてもらいたいね! あいかわらずキュゥべえのムカつきっぷりが愛しいですね。 ここまで明確な「悪人」がおらず、その行き場のない怒りをぶつける先がこの生き物になるというルートにまんまと流される作品なかなかありません。ボコボコにしたくなるのは計算済みなんでしょうか、でしょうね。 ああもうほんと、歴史に名を残す淫獣だなあ。 好きか嫌いかといわれたらめちゃくちゃ好きです。 でも側には来ないでください。 さて、9話ですがキュゥべえさん無い株をさらに下げますね。 いまだったら八九寺真宵や柊かがみの声と差し替えられてもモヤモヤしそうな気がします。 そして不安をかきたてすぎな小物の数々ときたら。 なんでまどかの部屋こんなに椅子だらけなん。しか

    「まどか☆マギカ」が描く少女至上主義 〜少女の感情は救いをもたらすのか〜 - たまごまごごはん
    NATSU2007
    NATSU2007 2011/03/10
    ガンスリ好きだがああいうのを元に現実の戦争で死ぬ処女の美学とか論じられると怖いわ。現実と空想の区別(略/沙村広明「ブラッドハーレーの馬車」の背景が見えた気がして不快。作者の女性観なんて知るもんじゃないな
  • http://yaplog.jp/aslog/archive/926

    NATSU2007
    NATSU2007 2010/06/06
    本当の意味で女の子を救済してコンプレックスが無くなったら困るからそれは温存するのか。彼女の無力感や無価値感を増強させ逃げ道をふさぎ2人の世界に閉じこもるのがセカイ系?これいい話として描かれてるのかな。
  • 1