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ブックマーク / note.com/dokuninjin7 (4)

  • 論点整理:呉座勇一氏と北村紗衣氏を巡る一連の論争――または、扇動者たちのオクラホマミキサー|青識亜論

    呉座勇一氏は、門外漢の私でも知っているほどの、著名な日中世史研究者だ。 メディア的には、井沢元彦氏や百田尚樹氏らを実証史学の立場から痛烈に批判したことで知られている。大河ドラマの時代考証にも関わっている人物だ。 そのような呉座氏が過去の発言で炎上していると知って、私はにわかには信じられず、togetterのまとめサイトを読んだ。 (※現在はtogetter記事自体は削除済) 率直に言って、開いた口がふさがらなかった。 同業者である北村紗衣氏に対する、粗雑な批判や中傷の数々がそこにはあった。 さえぼうの権利主張こそ「私はこんなすごい研究者なのに女だから正当に評価されていない!」というのが根底にあって、エリートとしての義務を果たそうとしているところを見たことがないぶっちゃけ、さえぼうは「自分は凄いのに(女性だから女性差別の日社会では?)正当に評価されてない」と言いたいだけだよな。ポスドクが

    論点整理:呉座勇一氏と北村紗衣氏を巡る一連の論争――または、扇動者たちのオクラホマミキサー|青識亜論
    NCOV-05
    NCOV-05 2021/03/28
    ワカルし危険も感じる(参考:https://bit.ly/3dctuq6)。ただ今回の文章は青さんがこの頃SNSで個人的に被っている状況もかなり影響してそうに感じられる。\ あと「それ以上いけない」は許せる範囲内だと考える。
  • 正しい「シーライオニング」のススメ|青識亜論

    ネット上を「シーライオニング」という概念が駆け巡っている。 wikiの記事によると、「荒らしや嫌がらせの一類型であり、礼儀正しく誠実なふりを続けながら、相手に証拠をしつこく要求したり質問を繰り返したりすること」となっている。 学術的に定義がある概念ではなく、なにが「嫌がらせ」に当たるのかは判然としない。 白饅頭氏が当該記事で指摘しているように、異論者に貼り付ける便利なレッテルとして機能しつつあるようにも思われる。 そもそも、「シーライオニング」というしてネット上で名指されている行為は、嫌がらせであり、悪いことなのだろうか? 稿では、ネット議論における「問い」の正しいやり方について、インターネットシーライオンこと私、青識亜論の考えを書いておこうと思う。 「シーライオニング」とはなにか 大元の出典に帰ろう。 Sealioning (シーライオニング)という単語が誕生するきっかけとなった漫画

    正しい「シーライオニング」のススメ|青識亜論
  • オタクコンテンツにエシカル消費はいらない ~青識亜論のネチネチnote~|青識亜論

    こんにちは! 批判の粘着性に定評のあるネット論客の青識亜論です(さわやか) さて。 米国の銅像破壊ムーブメントを論じる記事を書いていたのだが、現代ビジネス上に興味深い記事が投稿されたので、急遽中断し、今日はそちらについて論じることとしたい。 筆者は慶応大学大学院の博士課程で社会学を専攻されている中村香住氏だ。 中村氏は「女性アイドル、メイドカフェ、女性声優や女性2次元アイドルコンテンツのオタク」であり、かつ大学院でジェンダー研究を行っているいわゆる「フェミニスト」である。 昨今、インターネット上では、女性のアクターやキャラクターが登場する「オタク向け」作品と、いわゆる「フェミニズム」が自明的に対立するものとして扱われがちであり、中村氏自身も「葛藤」に苦しんでいるのだという。 中村氏が当該記事で定義する「オタク」とは次のようなものだ。 今回のツイートで私が用いた「オタク」の中身は、実際には「

    オタクコンテンツにエシカル消費はいらない ~青識亜論のネチネチnote~|青識亜論
    NCOV-05
    NCOV-05 2020/06/29
    >「本当にフェアに対立構造の解消を願うならば、フェミニストが繰り返してきた「告発」の持つ暴力性にこそ光を照射するべきでなかっただろうか。」
  • 論点整理:SNS抗議活動の反転可能性(岡村氏・室井氏の事例検討)|青識亜論

    SNS上の「誹謗中傷」に対して、法的措置が取りやすくなるような法改正を求める動きが加速している。 「リアリティショー」における故・木村花氏の言動が反感を買い、彼女を誹謗中傷するコメントが殺到したことがきっかけだ。 確かに、誰かを死に追い込むようなネットの「いじめ」が許されないことについては、論を待たない。 現行のプロパイダ責任制限法では、匿名の発言者の身元特定に複雑な裁判手続きが必要となり、発信者側に有利な「言ったもの勝ち」の状態となっているのも事実だ。 しかし他方で、通信の秘密は表現の自由の重要な前提であり、感情に任せて安易に開示へのハードルを下げてしまうことも、非常に危険であるといえる。 なにより、私たちは、自らの言葉について自分や味方の正当性に甘い判定をし、逆に、対立者には厳しい処罰を求めがちだ。 そこで、論考では、最近発生した二つの「SNS抗議活動」の事例を検討し、この処罰感情が

    論点整理:SNS抗議活動の反転可能性(岡村氏・室井氏の事例検討)|青識亜論
    NCOV-05
    NCOV-05 2020/06/02
    「私たちは、対立者に対する素朴な処罰感情に対してまことに弱い。発言に瑕疵があれば〜拡大解釈〜悪魔化し、謝罪をしてもなおどこまでもどこまでも追い詰めて、叩きのめすという、甘美な誘惑が常に存在している。」
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