1888年、10歳で陸軍幼年学校に入学し、陸軍士官学校を経て、1898年に第3近衛歩兵連隊に准尉として配属される。同じ部隊に、ヴァイマル共和政時代に国防相・首相となるクルト・フォン・シュライヒャーがおり、二人は親しくなった。ヴァルター・フォン・リュトヴィッツ将軍(のち1920年のカップ一揆に参加)の娘と結婚し、三男四女をもうけた。 1907年‐1910年の陸軍大学入学を経て、1911年に参謀本部付となる。1909年に中尉に任官し、1913年に大尉に昇進。第一次世界大戦中は参謀将校としてさまざまな部局(参謀次長副官、第7後備軍団作戦部長、参謀本部統帥局作戦部長)に配属。1914年にはフランドルで中隊長を務め、鉄十字章を受章したこともある。1917年に少佐に昇進。戦後のヴァイマル共和国でも軍に残り、義父が率いる軍団の参謀となる。1920年、中佐に昇進しカッセルの第2軍管区作戦部長となり、192