~落書きは止めましょう~ 11月19日早朝,港南大橋歩道上にて。 表現の自由は重要ですが,公共物です。 少しひどくはないですか。。。 https://t.co/eHVO1f37jR
~落書きは止めましょう~ 11月19日早朝,港南大橋歩道上にて。 表現の自由は重要ですが,公共物です。 少しひどくはないですか。。。 https://t.co/eHVO1f37jR
「障害者」という言葉を「障がい者」と置き換えることには反対――。熊谷俊人・千葉市長のツイートが反響を呼んでいます。熊谷市長はどんな思いを込めたのでしょうか。 論議を呼んだ千葉市長のツイッター「表現をソフトにすることは…」 近年、「障がい者」と漢字かなの交ぜ書きにする動きが増えています。自治体でも、施設案内や行政文書などで「障がい者」とするケースが相次いでいます。 2009年に表記を改めた岩手県滝沢村(現滝沢市)の担当課長は当時、朝日新聞の取材に「害の字は、妨げや災いといった否定的な意味を含む。村内の障害者団体からも意見があり、人権に配慮して変更した」と説明しています。 この問題について熊谷市長は20日、自らのツイッターで次のように語りました。 「『障害者』とは『社会の障害』でも『身体に障害を持つ者』でも無く、『社会との関わりの中で障害に直面している者』という意味であり、私たちはその障害
今回の日記について 大変亀レス的、且つ、私的な話題でネットで晒すのも恐縮なのですが、コンピュータに関係しなくもない経験をしたので、なにかの役に立つかもしれないので日記として残しておきます。 事故や犯罪被害をうけた人は、「まさか自分が、こんな目に遭うとは思っていなかった」と皆、そう言うそうです。 私も、こんなことが自分の身に起こるとは思っていませんでした。 しかし、誰にでも起き得ることであり、だから記録として残す価値はあると思いました。 事件の内容 今年の二月、早朝の6時から警察に叩き起こされて、3人がかりで四畳半のアパートの家宅捜索を受けました。 はじめ自分の身に何が起こったのか、まったく分かりませんでした。 2月の初旬でしたが、4月リリースにむけて仕事の忙しい時期だったので、そんなに寝てない状況でした。 まだ寝不足な朝っぱらから、尋常ではなく激しくチャイムが鳴らされるので何事かとドキドキ
レズビアンのカップルに育てられたザック・ウォルス氏による、家族についてのスピーチです。 アイオワ州で、同性愛者たちのパートナーシップ制度を廃止するという提案がなされており、この提案に反対するためのスピーチです。 この動画に関するブログ記事はこちらです。 http://itgetsbetterjapan.blogspot.jp/2012/04/blog-post.html 両親の性的指向は、子どもの人格には全く影響を及ぼさない。 家族のきずなは、政府によって祝福されることで強くなるのではない。 家族のきずなは、一緒に楽しい時を過ごすために、つらい時を共に乗り越えていこうとする意思によって作られる、それこそが家族というものである。 といったスピーチです。 是非、見てください。 オリジナル英語版はこちらで見ることができます http://www.youtube.com/watch?v=y
Finally tonight as promised, a Special Comment on the passage, last week, of Proposition Eight in California, which rescinded the right of same-sex couples to marry, and tilted the balance on this issue, from coast to coast. 最後に、お伝えしていたとおり先週カリフォルニアで可決された提案8号のことについて特別コメントをします。同性カップルが結婚する権利を廃棄する、というものです。同性婚問題に関する均衡がこれで揺るがされました。全米で、です。 Some parameters, as preface. This isn't about yelling, and this i
2011年9月27日火曜日 女性に酸を浴びせて顔を損壊させる事件の裏に何があるのか 10年ほど頃、カンボジア・プノンペンで、タット・マリナという美しい女性が、付き合っていた男の妻から硫酸を浴びせられるという痛ましい事件があった。ちょうど私がカンボジアをさまよっていた頃に現地で起きた事件だったのでよく覚えている。 それは、顔面から上半身まで体面積の43%が焼けただれる重度の火傷だった。一歩間違えれば死んでいたほどの瀕死の重傷だったが、それでも彼女は何とか生きながらえた。まだ16歳だった。 女性の身体に酸を浴びせる。それは凄絶なまでに残酷な攻撃である。タット・マリナの被害を受けた写真を見ても分かるが、あまりの痛々しさに言葉を失うほどだ。耳などは炭化して黒焦げてしまっている。 「私はあの時に死ぬべきでした」 「私は死んだほうがよかったのだ」と絶望的に嘆いていたのを記事で読んだが、それが私
先日、ほぼ15年ぶりにミャンマーを訪問してみた。しばらく、メディアが伝える情報のみでミャンマーの状況を捉えていたので、軍事政権の圧政によって経済も停滞し、人々の生活も厳しいものだろうと考えていた。しかしそれは全くの思いこみだった。ヤンゴンの街は他のアジア諸国に負けず劣らずの活気に満ちており、走っている車も建物も、15年前に比べると格段に進歩している。何よりも、人々の表情が活き活きと明るいことに、私は大きな感銘を受けた。街のあちこちにあるパゴダ(仏塔)は、国中の信者達から寄せられる寄付で壮麗になっており、そこに集う大勢の親子連れや若者達には陽気で前向きなエネルギーが溢れている。政治に形はどうであれ、この国の人々はより良い未来に希望を持って生活していることが感じ取れた。 メディアは大きな風を作り出すことがままある。その風が吹くと、情報は一つの方向を与えられ、別の方向からの情報は遮断されてしまう
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