週報 2024/04/28 川はただ流れている 4/20(土) 初期値依存性 さいきん土曜日は寝てばかり。平日で何か消耗しているらしい。やったことと言えば庭いじりと読書くらい。 ベランダの大改造をした。 サンドイッチ 一年前に引っ越してからこんな配置だったのだけど、さいきん鉢を増やしたら洗濯担当大臣の妻氏…
調べごとをしたので blog に書いて理解を深めようのコーナーです。長文です。 Linux でシステム負荷を見る場合にお世話になるのが top や sar (sysstat パッケージに同梱されてるコマンド) などのツールです。 top ではシステム統計のスナップショットを見ることができます。今システムがどういう状態かなーというときは top が便利。 top - 08:16:54 up 3 days, 14:43, 6 users, load average: 0.18, 0.07, 0.03 Tasks: 43 total, 2 running, 41 sleeping, 0 stopped, 0 zombie Cpu(s): 18.2% us, 0.0% sy, 0.0% ni, 81.8% id, 0.0% wa, 0.0% hi, 0.0% si一方の sar では10分ごとのシ
たとえば何かニュースになるような事件が起きたとき、渦中の人物がなぜそのようなことをしたのかについてあーだこーだ考察したり、その人の人間性について思うところを語ったりするのは、ある意味とても失礼なことだ。ニュースになるような事件じゃなくても、他人に対して「こういう人だろう」「こういう動機でやってるのだろう」「こういう事情があるのかも」と勝手にあれこれ考えるのは失礼である。それはたしかにそう思う。私はどっちかというと、難しいことよりそういう部分に目が行ってあれこれ考えるほうなので、私が自分にとって「自然」(とめんどくさいのでとりあえず言っとく)なものの見方をしてると、それだけで加害的になるのだなあと考えざるをえない。なんか私が「こういうのが自分にとって楽しいな」「やりやすいな」と感じることを心のままに(笑)実践していると必ずそれは他人を土足で踏みにじるようなもの(もしくは他人を土足で踏みにじる
うまくいかない日に仕込むラペ 「あぁ、今日のわたしダメダメだ…」 そういう日は何かで取り返したくなる。長々と夜更かしして本を読んだり、刺繍をしたり…日中の自分のミスを取り戻すが如く、意味のあることをしたくなるのです。 うまくいかなかった日のわたしの最近のリベンジ方法。美味しいラペを…
レジデント初期研修用資料 引っ越し前の旧blogです。新しいアドレスは http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/ になります 理性的な、あるいは科学的な「いい考え」というのは実世界ではなかなか受け入れられない。 その一方で、「納豆がダイエットに効果的」とか、「この壺買えば人生勝ち組み」みたいな考え方は 大流行。 「いい考えかたが広まる」というのは机上の空論。広まった考えかたが、事後的に「いい」ものとして 認知されるのが世の中。 広まる考えかたと、そうでない考えかたとを分けているのは、たぶん「信じたがる人」 たちを意識した発信を行っているのかどうかだと思う。 「優越感ゲーム」のルール 世の中を支配しているのは、優越感という万能通貨。 経済的な力。社会的な地位。目に見えない名声や、賛同者の数といった社会の様々な パラメーターは、「優越感ゲーム」というメタルールの元ではお
■数字で見る男と女の働き方【第2回】語られざる男性差別 これを読んで、ちょっと考えてみた。 もしかするとこういうことじゃないのか。 ■昔気質の思想(男) ・男は女よりも強いし、偉い。 ・外で稼いでくるのは当然。 ・家は女に守ってもらえ。 ・もてるもてないなど気にするな。 ・男は顔じゃない。強さと甲斐性。 ■昔気質の思想(女) ・女は男より弱く、劣る。 ・だから三歩下がって男に尽くせ。 ・女の幸せは嫁に行き子どもを産むこと。 ・男に愛されない女はダメだ。 ・女は顔と愛嬌。 が、机上のものであれ何であれ「男女平等教育」が進んだ現代では、男女共々「昔気質の旧世代の意見・価値観・行動」に拒絶反応を示したり、疑問視する視点が生まれた。 例えば女のワタシからすると、細木数子の発言を聞くと反吐が出ることがある。 「女はでしゃばるんじゃない」「女は家庭にいて夫と子どもと義両親に尽くせ」「女は男の浮気くらい
ある種の感情に訴えかける記事を読んだとき、とりあえず感情の赴くままエントリを書いてみる。しかし、登録ボタンを押す前に少し考える。果たしてこれは僕が本当に普段思っていることなんだろうか。 そんなことはよくあることだ。その場の感情と言うのは正しく自分の考えをトレースしているとは限らない。だから、必ずしも自分の思っていることに沿った感情が表出するとは限らない。こと、議論の場においては。 感情を喚起する記事は、しかしただこちらが勝手に受容する場合であれば、立ち止まって冷静に考えることは可能だ。いわゆる脊髄反射と言うやつは一度自分の文章を読み直し、また元記事のソースに一回当たってみるなどのクッションを置くことでたいていの場合一時の感情に突き動かされた自分と言うやつを発見することになるだろう。 しかし、積極的な悪意を向けられた場合、それに感情以外で対抗するのはなかなか難しい。対抗することそのものではな
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