![Amazon.co.jp: 考えあう技術 (ちくま新書): 苅谷剛彦, 西研: 本](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/63c4548d4bc3ac5c19de972fd8474b7b6f5f7246/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fm.media-amazon.com%2Fimages%2FI%2F41fNlOTfuCL._SL500_.jpg)
はじめに 1959年に「二つの文化」1)という講演の中でスノー(Snow, C. P.)は、「イングランドで知識人は人文と自然科学の二つのグループに分かれ、お互いに他方を理解するのが困難になり、同じ英語を語っているにも関わらず、コミュニケーションが殆どない」と論じた。彼はこの二つの文化の間に「橋を架ける」必要があると感じてこの講演で問題提起をしたのである。以来40年が経ったが、この二つの文化の間の溝は埋められるどころかますます広がっていくように見える。しかもこの二つの文化現象は、イギリスのみならず、日本を含めた全世界において認められる。 この「二つの文化」の存在を認める学者の多くはこれを教育の問題として捉え、教育、特に一般教育を通して改善がはかられると期待した。例えば科学者のあいだには文科系学生の科学教育により、この「二つの文化」間の溝を埋めようとする試みもあったが、顕著な成功があったとは
てんかん(癲癇)と生きる 外傷による側頭葉てんかん(癲癇)、情動発作について日々の雑感などを書いて行きます。健康・治療にまつわる話題などについても取り上げます。 PR プロフィール 「母親の特権意識と父親の不在」 http:… 4時間前 »なうを見る プロフィール|なう|ピグの部屋 ニックネーム:moon-3/月田陽三 自己紹介: 四十代、男。幼稚園児のとき園内で側頭部陥没の怪我。後に大発作(失神)を起こして、てんかんと診断される...>>続きをみる ブログジャンル:健康・医療/闘病 メッセージを送る アメンバーになる プレゼントを贈る [記事作成・編集] コメントについて/ 当ブログへコメントを書かれるかたは、使い捨てのハンドルネーム(例:「通りすがり」、「ななし」、「匿名希望」等)を使用しないでください。これらが使われた場合は、特別な理由がある場合を除き削除します。(2011年3月
学校の教師だから思うのかもしれないが、日本の教育制度がそのままのうちは、疑似科学問題は起りつづけるように感じる。教育、学問、科学といったものは、日本人の大半にとって、その内容以前に選別される経験である。私や私の同僚の大学の教師もふくめて、日本人のほとんどは自分の学歴になんらかのコンプレックスを抱いている。たとえ、東大卒であっても、自分にとっての値打なりアイデンティティが東大卒であることだけによっているなら、それもある意味で学歴コンプレックスである。そうしたコンプレックスとまるで無関係に科学や学問とつきあうことは、とてもむずかしいはずだ。 私は海外の事情にうといが、すくなくとも、(1)日本の中学以降の教育が事実上、一部の平均以上の学力もつ人間をのぞけば、選別の手段でしかないことと、(2)一発の入学試験という学力の測定手段としては、きわめていいかげんな手段によって、選別が実行されていることは日
存在するかどうか分からんが、Narrの意味不明文書を読める人向け。一般向けでは全くないです。話題は察して、荒れないようにそっとして。お願い。 (注)現場の状況は、これから見てきます。予測の状態でバーッと書いたのを出させてください。それでも構わないという人だけ、以下どうぞ。 「1/2000の確率の死亡を安価に回避する方法がある。この状況で、死亡を回避する方法を実行すべきか、それとも実行しないべきか」と設問した。 情報の属性(Narr独自の手作りツールです)つけて、視点を二つに分けます。視点を広く全体を客観的に見るか、それとも個人の主観的視点で眺めるか。色で見分けてください。 客観的な数字の選択 「2000人に1人の赤ちゃんが死亡する可能性がある。赤ちゃんを助けるべきだろうか、放置すべきだろうか。助けるならば、どのような方法で助けるべきだろうか。それが問題だ。」 「1/2000の確率で人が死ぬ
ドイツの政治家アドルフ・ヒトラーを写した写真や映像は白黒のものが多く見られますが、このたびヒトラーの専属写真家だったHugo Jaeger氏の撮影した未公開のカラー写真が複数見つかりました。Jaeger氏が写真を革製スーツケースに入れてミュンヘンの家に置いていました。終戦直前に6人の米兵が家にやって来てスーツケースが発見された際、もし写真が見られてヒトラーと自分が親密であることが発覚したら一体どうなることかと思ったJaeger氏ですが、米兵たちはそれよりもコニャックの方に興味を持ったために助かったようです。 詳細は以下から。 Unseen photographs reveal the private life of Adolf Hitler - Telegraph Adolf Hitler, Up Close - Adolf Hitler: Up Close - LIFE 1938年9月1
2009年11月8日付の朝日新聞投書欄に、「社会を冷静に観察する中学生」という投稿があった。中学校の教員によるもので、中学三年生の国語のテストに「鳩山政権の政策をひとつ取り上げ、自分の考えを200文字以内の文章にまとめる」という課題を出したそうだ。 以下、引用: 意外にも、「子ども手当はなくしてほしい」が36人で1位だった。理由は「親は何に使ってしまうかわからない」が最多で、「その場しのぎに過ぎない」「保育所を増やすなど支援を目に見える形にしないと、安心して子供を産めない」と続く。子ども手当の対象者が書いたと思うと、苦笑いしてしまう。 2番目に多かったのは「公立高校無償化に反対」の24人。理由は「中学を卒業したらすぐ働きたい人や職人に弟子入りしたい人がいるかも」「誰もが高校に行きたがるという考えを前提にしているのがおかしい」などシビアだ。 私は感心した。子どもたちは親や社会を冷静に見ている
先日、ある人と話した時に、こんな事を聞かれました。 「おちけんさん、おちけんさんのところは、来年から小学校らしいけど、給食費払うの?」 あぁ、そうですね。 給食費を払わない人がいるのは知っています。 でも、私は払いますよ、絶対に。 それがルールなんですから。 そう答えました。 すると、彼はこういうのです。 「払うな。払ったら負けだよ。全員払わなければ良い。」 「給食費を払う人間がいるから、払わない人間が責められるんだ!」 私はつい言葉を失いましたが、 「ルールだから絶対に払う」と言い続けました。 でも、彼が言うには、 「だって、払わなくても食べられるんだよ?払う方がおかしいでしょ。」 まぁ、それも一理あるかもしれない。 給食費を払わないなら、食べさせなければ良い。 払ってもない子供に食べさせるから不平不満が出る。 でも、いくら親が給食費を払わないからと言って、 子どもが給食も食べれないんじ
昨日。東京工芸大学での出来事。飯田さんの教える講義にゲストとして登壇した。身体を評価するものがスポーツであってゲームとはその仕組みのことであるという授業。 僕も熱くなって話をしていた。 半数の学生は正体して話を聞くが半数は何かをしながら聞いている。 開始早々からうつ伏せて寝る学生もいる。 これが飯田さんが毎週悩まされていた無関心かと思いながら授業を続けていると、飯田さんが学生の間を周り態度を直せと注意をはじめた。 しかし無関心は引き続き横たわる。 僕ももっと関心を持ちやすいようにエンターテイメント的な演出を加えて盛り上げようかと思うが、 ここは大学であってロフトではないので対話を軸にした言葉での授業に徹した。 やはり引き続き横たわる無関心。 授業の中で全員がビデオゲームをプレイをしたことがあって、スポーツをプレイしたことがあると答えた。 それらの体験があるからこそ石川遼や羽生名人、Fata
PDF形式のファイルを御覧いただく場合には、Adobe Readerが必要です。 Adobe Readerをお持ちでない方は、まずダウンロードして、インストールしてください。
1.はじめに 「科学の性質や規則性,真理などは,人間に無関係に自然の中に存在するものではない。自然の性質や規則性は,人間が見通しとして発想し,観察,実験などにより検討し承認したものである。つまり,自然の性質や規則性,真理などは人間の創造の産物である。」1)これは昨年発行されたある理科教育解説書からの引用である。 現在の科学は,ガリレオ,ケプラー,ニュートン以来,数百年にわたり,科学者と呼ばれる人間によりつくりあげられたことは確かである。しかし,自然科学の理論や法則は道路交通法の規則,市議会で制定される都市の美観条例とは異なり,ある程度の任意性はあっても,上記の引用文のように人間が創造したと言い切る科学者は殆どいない。また科学理論の成立は芸術作品創作や文芸作品の創作活動とも同列に論ずることはできない。科学は"普遍的に成り立つ",すなわち"人間に無関係に成立する"という科学の性質のゆえに,人
はじめに 1959年に「二つの文化」1)という講演の中でスノー(Snow, C. P.)は、「イングランドで知識人は人文と自然科学の二つのグループに分かれ、お互いに他方を理解するのが困難になり、同じ英語を語っているにも関わらず、コミュニケーションが殆どない」と論じた。彼はこの二つの文化の間に「橋を架ける」必要があると感じてこの講演で問題提起をしたのである。以来40年が経ったが、この二つの文化の間の溝は埋められるどころかますます広がっていくように見える。しかもこの二つの文化現象は、イギリスのみならず、日本を含めた全世界において認められる。 この「二つの文化」の存在を認める学者の多くはこれを教育の問題として捉え、教育、特に一般教育を通して改善がはかられると期待した。例えば科学者のあいだには文科系学生の科学教育により、この「二つの文化」間の溝を埋めようとする試みもあったが、顕著な成功があっ
May 1, 2009 先生から電話が来ました(授業参観の件で) (2) テーマ:今日の出来事(288274) カテゴリ:子育ての事 「水からのおはなし」という教材らしきもの、 恐れていた事がの続き。 昨日の朝息子にもたせた手紙を夕べ読んでくださったそうで、今朝末っ子を幼稚園に送り出したら息子の担任の先生が電話を下さいました。 多分、本当にただ真面目にやってる先生なのでしょうね。 手紙の趣旨を理解した上で、やはり不適切であった事、今後は授業に使わない事を約束していただきました。 ・・・ただここで、私の失敗を一つ披露しますと、出した手紙に時間がかかってもいいからお返事を書面で頂きたいと書きそびれてしまったんですね。 で、今日から小学生はお休みなので(件の授業参観は日曜日だったので今日は振り替え休日なのです)GWを越える前にお電話くださったとの事。 一言書き添えるかもっと早くにお手紙出すべきで
Apr 30, 2009 恐れていた事が・・・ テーマ:小学生ママの日記(28628) カテゴリ:子育ての事 「水からのおはなし」という教材らしきものの続報。 あの授業を受けた長男A君に参観日の話を振ったら 「オレも水に『ありがとう』って言葉を張ってみようかな」 って言ってました。 恐れていた事が! A君は、物事の成り立ち後かもののでき方とか作り方とか進化の話しとか、理科的知識に興味を持ちやすい子なのです。 当然、簡単にできる実験とあらば飛びつきます。 しかし、どれ程理系方面に興味があろうとも、持っている知識は乏しいのですから怪しいニセ科学を見破れるだけのバックはまだ彼は持っていません。 なんと言っても小学2年生です。 それに対し、私は 「水が言葉で変化するという事実は無いよ」 と言わなくてはいけませんでした。 たかがたわいも無い実験に、と思われるかもしれませんが、親として常識と違う事実を
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く