タグ

ブックマーク / blog.goo.ne.jp/f-ryota (4)

  • 阿久根市長発言と生権力 - 仮想算術の世界

    ブログほったらかしですみません。新著(『神話が考える』)のほうは徐々にゲラになっておりますので、どうぞ期待してお待ちください。そういえば、最近ほうぼうから「何でツイッターやらないんだ?」と詰問されているのですが(笑)、ツイッターは確かにシステムとしては大変興味深いとはいえ、ちょっと自分でやるのは二の足を踏んでしまう…。いや、ツイッターは当はかなり破壊的だと思いますよ(笑)。まぁそうはいいつつも、どうせ来年には始めてるんでしょうが。選択の余地はなさそうです。 最近は抽象的なばかり読んでいて、ニュースもたいして見ていなかったのですが、阿久根市長の竹原信一の発言は非常に重要です。「高度医療が障害者を生き残らせている」という発言が実はきわめて正確であることは、フーコーを読んだ人ならわかるはずです。フーコーは、およそ二つのタイプの権力を分けています。一つは生殺与奪の権限を握った古典的な権力、つ

  • レヴィ=ストロース氏死去 - 仮想算術の世界

    レヴィ=ストロース氏が亡くなられたとのこと、もうほとんど歴史上の人物と言っていいかと思いますが、それでもやはりショックでした。 僕は、ネットやサブカルチャーの分析にレヴィ=ストロースの神話論が適用できるのではないかというアイディアの下、『ユリイカ』で連載をしていたのですが、単行ではあまりレヴィ=ストロースへの言及は入れていません。ノルベルト・ボルツとかグレゴリー・ベイトソンといったあたりのシステム論系の論者の議論を使ったほうが、文化分析としてはうまく行くという気がしたからです。というか、フランス系の文学性を捨てて、生態学&神話論で行くほうがチャレンジしがいがあるのではないかと思った…というほうが正確かもしれませんが。 とはいえ、別にレヴィ=ストロースの議論が現代的にダメということではない。たとえば、レヴィ=ストロースの「神話素」という概念は、アレグザンダー的に言えばセミ・ラティスと同

  • ネーション抜きの想像の共同体? - 仮想算術の世界

    いつの間にか更新が空いてしまいました。書きたいことは色々あったはずなのですが…。 とりあえず、『メイキング・オブ・ピクサー』という書評を書きました。ちょうど宇野さんが『新潮』の今月の連載でピクサーについて書かれていたので、図らずも同期しています。 えーと、後は何だろう…。そういえば、イオシスの「チルノのパーフェクトさんすう教室」を中国各地で踊ってみるという動画がしばらく前にニコ動で上がってるのを発見したのですが(笑)、こういう現象はけっこう面白い。何というか、記号消費のステージも国境を越えて着々と進んでるなと思います。 実際、アニメ声優やアイマスなんかがわかりやすいですが、「私」の肉声を一度取っ払ってしまった非人間的でデータベース的な「声」のほうが、かえってより遠くに届くということが、現在の文化では起こり得る。「チルノのパーフェクトさんすう教室」が中国でも受容されるというのは、ま

  • モノとしての記号 - 仮想算術の世界

    知り合いに放映中の『ハルヒ』のエピソード「エンドレスエイト」がいいと聞いて、選挙速報の傍ら、録画をまとめて見てみました(そういえば最近あんまりアニメ見てなかった)。4回連続で同じ話をループしているというやつ。 ご覧になった方はわかると思いますが(詳しい説明は面倒なのでしません)、このループは明らかに、長門視点から見た世界を示している。で、僕はそこがかなり批評的でいいと思いました。長門はもともと、他のキャラとはまったく別の時間性を持って動いているキャラです。特に今回はハルヒと対比されていてそこが面白い。 ハルヒは定期的にイベント(祭り)を欲するキャラです。夏休みのお決まりのイベントをこなしていく今回のハルヒは、特にそういう欲望を全面化させている。それに対して、長門はそういう「ハレ」の時間性を持たない。彼女は、人間社会の祭式の時間性とは全然違うロジックで動いている。今回にしても、何の変化も

  • 1