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  • 「論文・研究書紹介」のブログ記事一覧-聖徳太子研究の最前線

    先に紹介した武澤氏のでは、律令制成立前の倭国王の王については「天皇」という呼び方を避けていました。ただ、正式に認定されて普及していたかどうかはともかく、「天皇」の語は推古朝から用いられていたとする説もあり、この問題は決着がついていません。 これについて論じた最近の一例が、前回紹介した中田氏ののうちの、 中田興吉『倭国末期政治史論』第Ⅱ部第五章「推古朝の君主号―天皇号使用との観点から―」 (同成社、2017年) です。 中田氏は、『隋書』倭国伝のうち、「阿毎多利思比弧」の「阿毎」を「アメ」と読む説に反対して「アマ」であるとし、「阿輩雞彌」については「アメキミ」と読みます。好太王碑もその祖を「天帝」の子としていることに注意し、この「天」は中国思想の「天」ではなく、日の天皇家の祖先がいた世界としての「天」であるとする説に賛同します。そして、「天子」と名乗ったのは、「倭王」の号を嫌ったためと

    「論文・研究書紹介」のブログ記事一覧-聖徳太子研究の最前線
    Nathannate
    Nathannate 2023/05/28
    “石井公成。駒澤大学名誉教授”
  • それでも実在したのは厩戸王だ?:宗教と化した大山誠一氏の最近の論説 - 聖徳太子研究の最前線

    宗教裁判で地動説を捨てるよう命じられた後、ガリレオが「それでも地球は回っている」とつぶやいたという話は有名です。現在では、この話は後になってからの弟子の創作らしいとされていますが、ガリレオの主張は科学的観察に基づく正しい説であったため、この話は長く共感を呼んできました。 一方、科学的成果を認めず、何と言われようと誤った信念を保持し続けた人たちもいます。たとえば、江戸から明治初期にかけては、西洋の近代天文学を受け入れず、仏教的な世界観に基づいて独自の観察をし、我々が住むこの世界の回りを大陽や月が回っているのだと主張し続けた僧たちがいました。 それによく似ているのが、「厩戸王」は戦後になって仮に想定された名であって古代の文献には見えないこと、都の飛鳥と斑鳩を斜め一直線で結ぶ太子道は幅20メートルもある広壮なものであった事実が発掘でわかったこと、現在の法隆寺の前身である斑鳩寺は彩色壁画で飾られた

    それでも実在したのは厩戸王だ?:宗教と化した大山誠一氏の最近の論説 - 聖徳太子研究の最前線
    Nathannate
    Nathannate 2021/04/24
    「大山誠一説ではない」としながらさらっと聖徳太子の語を消して「厩戸王」を記述する学習参考書の出版社や一般歴史書の著者らが最も邪悪。
  • 斬新な説とトンデモ説の境目:松尾光「聖徳太子は山背大兄王の虚像か」 - 聖徳太子研究の最前線

    定説は新しい説によって批判されて変わっていくものですが、新しければ正しいという保証はありません。また、間違った説であっても、刺激を与えて学問を発展させる場合もあります。 その間違いの程度、含まれる問題の程度は様ざまであり、そもそも前提がまったく誤っているもの、きわめて着実な考察でありながらほんの一部が正しくないため不自然な結論に至っているもの、おおよそは正しいと思われるものの、証拠不十分であってそこまでは言えないだろうと思われるものなど、いろいろです。 そうした中で、トンデモ説に近いのは、そのような問題点があることを自覚せず、「ついに真実を発見した!」と思い込んで断定を重ねるような場合ですね。聖徳太子研究には、そうした例が多いのですが、かなり推定に頼っていながらトンデモ説にはなっていない例をご紹介しましょう。 松尾光「聖徳太子は山背大兄王の虚像か」(松尾『古代の王朝と人物』、笠間書院、19

    斬新な説とトンデモ説の境目:松尾光「聖徳太子は山背大兄王の虚像か」 - 聖徳太子研究の最前線
    Nathannate
    Nathannate 2021/04/09
    良記事
  • 新しい歴史教科書をつくる会理事の高森明勅氏が国会議員におこなった聖徳太子レクチャーに関する疑問 - 聖徳太子研究の最前線

    指導要領を改訂する際の「厩戸王」騒動は、聖徳太子という呼称を尊重せよと主張して強硬に反対した人たちも、国会の委員会で「厩戸王(聖徳太子)」などと表記するのは歴史への冒涜だと述べた議員も、「厩戸王」の語は『日書紀』や『古事記』に見えるのでと答弁した文部科学大臣も、名である「厩戸王」を前面に出すことに反対するのは近年の学問成果を無視するものだと論じる人も、その騒動を報じたマスコミも、いずれも「厩戸王」は小倉豊文が戦後になって仮に想定した呼称であって古代の文献には登場しないことを知らないまま議論するという恥ずかしい状況でした。この騒動について書いた記事が、「こちら」です。 文部科学大臣の答弁は、文部省の役人が指導要領改定に関わった研究者に聞いて書いたのでしょうが、その研究者は「厩戸王」を前面に押し出そうとしていたわけですから、『古事記』『日書紀』に見えないということに気づいていなかった可能

    新しい歴史教科書をつくる会理事の高森明勅氏が国会議員におこなった聖徳太子レクチャーに関する疑問 - 聖徳太子研究の最前線
    Nathannate
    Nathannate 2021/04/05
    ふむ
  • 指導要領改定案の問題点:「厩戸王」は戦後に仮に想定された名、「うまやどのおう」も不適切【訂正・追加】 - 聖徳太子研究の最前線

    2月14日に小学校や中学校などの指導要領の改定案が公表され、新聞などでも報道されました。その歴史教科書の改定案を見てみました。文部科学省は、パブリックコメントを受け付けるとのことですので、出しておく予定です。 報道によれば、文科省の説明としては、聖徳太子という名は没後になって使われるようになったため、歴史学で一般的に用いられている「厩戸王(うまやどのおう)」との併記の形とし、人物に親しむ段階である小学校では「聖徳太子(厩戸王<うまやどのおう>)」、史実を学ぶ中学では「厩戸王<うまやどのおう>(聖徳太子)」とする由。 これは奇妙な話ですね。後代の呼び方はいけないのであれば、天皇の漢字諡號は奈良時代になって定められたのですから、欽明天皇も推古天皇も天智天皇も天武天皇も使えないことになります。さらに重要なのは、奈良時代から用いられて定着した漢字諡號と違い、「厩戸王」という言葉は、使われた証拠がま

    指導要領改定案の問題点:「厩戸王」は戦後に仮に想定された名、「うまやどのおう」も不適切【訂正・追加】 - 聖徳太子研究の最前線
    Nathannate
    Nathannate 2021/04/04
    「厩戸王」が歴史学の一般名称というのも嘘でしたね。
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