先に紹介した武澤氏の本では、律令制成立前の倭国王の王については「天皇」という呼び方を避けていました。ただ、正式に認定されて普及していたかどうかはともかく、「天皇」の語は推古朝から用いられていたとする説もあり、この問題は決着がついていません。 これについて論じた最近の一例が、前回紹介した中田氏の本のうちの、 中田興吉『倭国末期政治史論』第Ⅱ部第五章「推古朝の君主号―天皇号使用との観点から―」 (同成社、2017年) です。 中田氏は、『隋書』倭国伝のうち、「阿毎多利思比弧」の「阿毎」を「アメ」と読む説に反対して「アマ」であるとし、「阿輩雞彌」については「アメキミ」と読みます。好太王碑もその祖を「天帝」の子としていることに注意し、この「天」は中国思想の「天」ではなく、日本の天皇家の祖先がいた世界としての「天」であるとする説に賛同します。そして、「天子」と名乗ったのは、「倭王」の号を嫌ったためと