2代目甚五による萌黄蚊帳の創案 西川家の2代目は、初代仁右衛門の四男・甚五が1628(寛永5)年に相続した。2代目甚五は蚊帳について研究を重ね、このころ、縁に紅布を付け、布地に萌黄色の染色をほどこした近江蚊帳の象徴となる萌黄蚊帳を創案したと伝えられる。 2代目が箱根越えをしていた折、疲れ切った体を休めようと木陰に身を横たえた。その時、緑色のつたかずらが一面に広がる野原にいる夢を見た。つたかずらの若葉の色が目に映えて、まるで仙境にいるようだったという。「涼味あふれる緑に囲まれたシーンを目にすれば、蚊帳の中にいる人の気持ちを和ませ、爽快な気持ちにさせるであろう」と2代目は考え、このイメージを蚊帳に再現したと語り継がれている。 江戸時代の面影を残している明治初年ごろの日本橋 店 Column箱根越えの「夢の啓示」 2代目が箱根越えをしていた折、疲れきった体を休めようと木陰に身を横たえた。その時、