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ブックマーク / www.aozora.gr.jp (355)

  • 高村光太郎 顔

    顔は誰でもごまかせない。顔ほど正直な看板はない。顔をまる出しにして往来を歩いている事であるから、人は一切のごまかしを観念してしまうより外ない。いくら化けたつもりでも化ければ化けるほど、うまく化けたという事が見えるだけである。一切合切投げ出してしまうのが一番だ。それが一番美しい。顔ほど微妙に其人の内面を語るものはない。性情から、人格から、生活から、精神の高低から、叡智(えいち)の明暗から、何から何まで顔に書かれる。閻羅(えんら)大王の処に行くと見る眼かぐ鼻が居たり浄玻璃(じょうはり)の鏡があって、人間の魂を皆映し出すという。しかしそんな遠い処まで行かずとも、めいめいの顔がその浄玻璃の鏡である。寸分の相違もなく自分の持つあらゆるものを映し出しているのは、考えてみると当然の事であるが、又考えてみるとよくも出来ているものだと感嘆する。仙人じみた風貌をしていて内心俗っぽい者は、やはり仙人じみていて内

    Nean
    Nean 2011/03/24
    なんかしら気に喰わない。
  • 濱田耕作 温泉雜記

    「旅人よ、ラコニヤ人に告げよ。我等は其の命に從ひて此處に眠れりと」これはスパルタ國王レオニダスが紀元前四八〇年、寡兵を以てマケドニヤの強敵と戰ひ、テルモピレーの險に其の屍を埋めた戰場に立てられた記念の碑銘であつたことは、苟も希臘史を學んだものは記憶するであらう。併し此のテルモピレーが温泉の湧出地であることは、往々にして注意せられないかも知れない。「テルモ」は「熱い」と言ふ義であり、「ピレー」は門の意であれば、テルモピレーは即ち熱門とも譯す可きで、オエタの山がマリオコス灣に逼つて、ロクリスからテスサリヤに入る道が丁度此のテルモピレーの險阻を過ぎるのである。レオニダスの時より二千五百年の星霜を經て、桑田碧海の變と言ふ程では無いが、地形の變化は此のテルモピレーも埋められ、嶮崖は海岸線から稍々遠く距つて、緩傾斜になつて仕舞つた。併し名に負ふ温泉は、今も華氏百〇四度の温度を保つて硫黄泉として存在して

  • 北村透谷 我牢獄

    もし我にいかなる罪あるかを問はゞ、我は答ふる事を得ざるなり、然(しか)れども我は牢獄の中(うち)にあり。もし我を拘縛(こうばく)する者の誰なるを問はゞ、我は是を知らずと答ふるの外なかるべし。我は天性怯懦(けふだ)にして、強盗殺人の罪を犯すべき猛勇なし、豆大の昆虫を害(そこな)ふても我心には重き傷痍(しやうい)を受けたらんと思ふなるに、法律の手をして我を縛せしむる如きは、いかでか我が為(な)し得るところならんや。政治上の罪は世人の羨(うらや)むところと聞けど我は之を喜ばず、一瞬時(いちじ)の利害に拘々(こう/\)して、空しく抗する事は、余の為す能(あた)はざるところなればなり。我は識(し)らず、我は悟らず、如何(いか)なる罪によりて繋縛の身となりしかを。 然れども事実として、我は牢獄の中(うち)にあるなり。今更に歳の数を算(かぞ)ふるもうるさし、兎(と)に角(かく)に我は数尺の牢室に禁籠(き

  • 泉鏡花 歌行燈

    一 宮重(みやしげ)大根のふとしく立てし宮柱は、ふろふきの熱田の神のみそなわす、七里のわたし浪(なみ)ゆたかにして、来往の渡船難なく桑名につきたる悦(よろこ)びのあまり…… と口誦(くちずさ)むように独言(ひとりごと)の、膝栗毛(ひざくりげ)五編の上の読初め、霜月十日あまりの初夜。中空(なかぞら)は冴切(さえき)って、星が水垢離(みずごり)取りそうな月明(つきあかり)に、踏切の桟橋を渡る影高く、灯(ともしび)ちらちらと目の下に、遠近(おちこち)の樹立(こだち)の骨ばかりなのを視(なが)めながら、桑名の停車場(ステエション)へ下りた旅客がある。 月の影には相応(ふさわ)しい、真黒(まっくろ)な外套(がいとう)の、痩(や)せた身体(からだ)にちと広過ぎるを緩く着て、焦茶色の中折帽、真新しいはさて可(い)いが、馴(な)れない天窓(あたま)に山を立てて、鍔(つば)をしっくりと耳へ被(かぶ)さるばか

  • 夢野久作 きのこ会議

    初茸、松茸、椎茸、木くらげ、白茸、鴈(がん)茸、ぬめり茸、霜降り茸、獅子茸、鼠茸、皮剥ぎ茸、米松露、麦松露なぞいうきのこ連中がある夜集まって、談話会を始めました。一番初めに、初茸が立ち上って挨拶をしました。 「皆さん。この頃はだんだん寒くなりましたので、そろそろ私共は土の中へ引き込まねばならぬようになりました。今夜はお別れの宴会ですから、皆さんは何でも思う存分に演説をして下さい。私が書いて新聞に出しますから」 皆がパチパチと手をたたくと、お次に椎茸が立ち上りました。 「皆さん、私は椎茸というものです。この頃人間は私を大変に重宝がって、わざわざ木を腐らして私共の畑を作ってくれますから、私共はだんだん大きな立派な子孫が殖えて行くばかりです。今にどんな茸でも人間が畠を作ってくれるようになって貰いたいと思います」 皆は大賛成で手をたたきました。その次に松茸がエヘンと咳払いをして演説をしました。 「

  • 華々しき一族

  • 海野十三(佐野昌一) 寺田先生と僕

    Nean
    Nean 2011/03/18
    寺田寅彦と海野十三の接点は、関東大震災。
  • 坂口安吾 投手殺人事件

    その一 速球投手と女優の身売り 新しい年も九日になるのに、うちつづく正月酒で頭が痛い。細巻(ほそまき)宣伝部長が後頭部をさすりながら朝日撮影所の門を通ろうとすると、なれなれしく近づいた男が、 「ヤア、細巻さん。お待ちしていました。とうとう現れましたぜ。暁葉子(あかつきようこ)が。インタビューとろうとしたら拒絶されましたよ。あとで、会わして下さい。恩にきますよ」 こう云って頭をかいてニヤニヤしたのは、専売新聞社会部記者の羅宇木介(らおもくすけ)であった。 「ほんとか。暁葉子が来てるって?」 「なんで、嘘つかんならんですか」 「なんだって、君は又、暁葉子を追っかけ廻すんだ。くどすぎるぜ」 「商売ですよ。察しがついてらッしゃるくせに。会わして下さい。たのみますよ」 「ま、待ってろ。門衛(もんえい)君。この男を火鉢に当らせといてくれたまえ。勝手に撮影所の中を歩かせないようにな。たのむぜ」 暁葉子は

  • 若山牧水 樹木とその葉 夏を愛する言葉

  • 小金井喜美子 鴎外の思い出

    これは今年の正月の私の誕生日に、子供たちが集った時に口ずさんだのです。 いつか思いの外に長命して、両親、兄弟、主人にも後れ、あたりに誰もいなくなったのは寂しいことですが、幸いに子供だけは四人とも無事でいますのを何よりと思っています。近親中で長生したのは主人の八十七、祖母の八十八でした。祖母は晩年には老耄(ろうもう)して、私と母とを間違えるようでした。主人は確かで、至って安らかに終りました。この頃亡兄は結核であったといわれるようになりましたが、主人も歿後(ぼつご)解剖の結果、結核だとせられました。解剖家は死後解剖するという契約なのです。医者でいる子供たちも、父は健康で長命して、老衰で終ったとばかり思っていましたら、執刀せられた博士たちは、人間は老衰だけで終るものではない、昔結核を患った痕跡(こんせき)もあるし、それが再発したのだといわれます。解剖して見た上でいわれるのですから、ほんとでしょう

    Nean
    Nean 2011/03/13
    あとで読む。
  • 芥川龍之介 森先生

  • 宮沢賢治 どんぐりと山猫

    かねた一郎さま 九月十九日 あなたは、ごきげんよろしいほで、けつこです。 あした、めんどなさいばんしますから、おいで んなさい。とびどぐもたないでくなさい。 山ねこ 拝 こんなのです。字はまるでへたで、墨もがさがさして指につくくらゐでした。けれども一郎はうれしくてうれしくてたまりませんでした。はがきをそつと学校のかばんにしまつて、うちぢゆうとんだりはねたりしました。 ね床にもぐつてからも、山(やまねこ)のにやあとした顔や、そのめんだうだといふ裁判のけしきなどを考へて、おそくまでねむりませんでした。 けれども、一郎が眼をさましたときは、もうすつかり明るくなつてゐました。おもてにでてみると、まはりの山は、みんなたつたいまできたばかりのやうにうるうるもりあがつて、まつ青なそらのしたにならんでゐました。一郎はいそいでごはんをたべて、ひとり谷川に沿つたこみちを、かみの方へのぼつて行きました。 すき

  • 横瀬夜雨 春

  • モーリス・ルプラン 菊池寛訳 奇巌城 アルセーヌ・ルパン

    レイモンドはふと聞き耳をたてた。再び聞(きこ)ゆる怪しい物音は、寝静(ねしずま)った真夜中の深い闇の静けさを破ってどこからともなく聞えてきた。しかしその物音は近いのか遠いのか分(わか)らないほどかすかであって、この広い屋敷の壁の中から響くのか、または真暗(まっくら)な庭の木立の奥から聞えてくるのか、それさえも分らない。 彼女はそっと寝床から起き上(あが)って、半分開いてあった窓の戸を押し開いた。蒼白い月の光は、静かな芝草の上や叢(くさむら)の上に流れていた。その叢の蔭の方には、古い僧院の崩れた跡があって、浮彫の円柱や、壊れた門や、壊れた廻り廊下や、破れた窓などが悲惨な姿をまざまざと露(あら)わしていた。夜のかすかな風が向うの森の方から静かに吹いてきた。 と、またも怪しい物音……それは下の二階の左手にある客間から響くらしい。 レイモンドは勇気のある少女であったが、何となく恐ろしくなってきた。

  • 岡本かの子 河明り

    私が、いま書き続けている物語の中の主要人物の娘の性格に、何か物足りないものがあるので、これはいっそのこと環境を移して、雰囲気でも変えたらと思いつくと、大川の満(み)ち干(ひ)の潮がひたひたと窓近く感じられる河沿いの家を、私の心は頻(しき)りに望んで来るのであった。自分から快適の予想をして行くような場所なら、却(かえ)ってそこで惰(なま)けて仕舞いそうな危険は充分ある。しかし、私はこの望みに従うより仕方がなかった。 人間に交っていると、うつうつらまだ立ち初めもせぬ野山の霞(かすみ)を想(おも)い、山河に引き添っているとき、激しくありとしもない人が想われる。 この妙な私の性分に従えば、心の一隅の危険な望みを許すことによって、自然の観照の中からひょっとしたら、物語の中の物足らぬ娘の性格を見出す新な情熱が生れて来るかも知れない――その河沿いの家で――私は今、山河に添うと云ったが、私は殊にもこの頃

  • 変な音

  • 神西清 雪の宿り

  • 犬田卯 荒蕪地

  • 斎藤茂吉 呉秀三先生

  • 徳冨盧花 水汲み