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ブックマーク / www.aozora.gr.jp (355)

  • 芥川龍之介 地獄變

    堀川の大殿樣(おほとのさま)のやうな方は、これまでは固より、後の世には恐らく二人とはいらつしやいますまい。噂に聞きますと、あの方の御誕生になる前には、大威徳明王の御姿が御母君(おんはゝぎみ)の夢枕にお立ちになつたとか申す事でございますが、兎に角御生れつきから、並々の人間とは御違ひになつてゐたやうでございます。でございますから、あの方の爲(な)さいました事には、一つとして私どもの意表に出てゐないものはございません。早い話が堀川のお邸の御規模を拜見致しましても、壯大と申しませうか、豪放と申しませうか、到底私どもの凡慮には及ばない、思ひ切つた所があるやうでございます。中にはまた、そこを色々とあげつらつて大殿樣の御性行を始皇帝や煬帝(やうだい)に比べるものもございますが、それは諺に云ふ群盲の象を撫でるやうなものでもございませうか。あの方の御思召は、決してそのやうに御自分ばかり、榮耀榮華をなさらうと

  • 樋口一葉 たけくらべ

    廻れば大門の見返り柳いと長けれど、お齒ぐろ溝に燈火(ともしび)うつる三階の騷ぎも手に取る如く、明けくれなしの車の行來(ゆきゝ)にはかり知られぬ全盛をうらなひて、大音寺前(だいおんじまへ)と名は佛くさけれど、さりとは陽氣の町と住みたる人の申き、三嶋神社(みしまさま)の角をまがりてより是れぞと見ゆる大厦(いへ)もなく、かたぶく軒端の十軒長屋二十軒長や、商ひはかつふつ利かぬ處とて半さしたる雨戸の外に、あやしき形(なり)に紙を切りなして、胡粉ぬりくり彩色のある田樂(でんがく)みるやう、裏にはりたる串のさまもをかし、一軒ならず二軒ならず、朝日に干して夕日に仕舞ふ手當こと/″\しく、一家内これにかゝりて夫れは何ぞと問ふに、知らずや霜月酉(とり)の日例の神社に欲深樣のかつぎ給ふ是れぞ熊手の下ごしらへといふ、正月門松とりすつるよりかゝりて、一年うち通しの夫れは誠の商賣人、片手わざにも夏より手足を色どりて、

  • 作家別作品リスト:江戸川 乱歩

    公開中の作品 赤いカブトムシ (新字新仮名、作品ID:57105) 赤い部屋 (新字新仮名、作品ID:57181) 悪魔の紋章 (新字新仮名、作品ID:57240) 悪霊 (新字新仮名、作品ID:57515) 悪霊物語 (新字新仮名、作品ID:58699) 「悪霊物語」自作解説 (新字新仮名、作品ID:59399) 暗黒星 (新字新仮名、作品ID:58333) 偉大なる夢 (新字新仮名、作品ID:57531) 一枚の切符 (新字新仮名、作品ID:57182) 一寸法師 (新字新仮名、作品ID:58053) 陰獣 (新字新仮名、作品ID:57503) 宇宙怪人 (新字新仮名、作品ID:56674) 江川蘭子 (新字新仮名、作品ID:58590) 黄金仮面 (新字新仮名、作品ID:57241) 黄金豹 (新字新仮名、作品ID:56678) 押絵と旅する男 (新字新仮名、作品ID:56645)

  • 作家別作品リスト:ストールマン リチャード

    1953-。GNUプロジェクトの創始者。代表作(ソフトウェア)『GNU Cコンパイラ』『GNU Emacsエディタ』他多数。 「リチャード・ストールマン」

    Nean
    Nean 2015/09/11
    現在(2015年2015年9月11日)1本のみだけれど。でもそもそも青空文庫に入っているとは思わなんだ。
  • 寺田寅彦 科学者とあたま

    私に親しいある老科学者がある日私に次のようなことを語って聞かせた。 「科学者になるには『あたま』がよくなくてはいけない」これは普通世人の口にする一つの命題である。これはある意味ではほんとうだと思われる。しかし、一方でまた「科学者はあたまが悪くなくてはいけない」という命題も、ある意味ではやはりほんとうである。そうしてこの後のほうの命題は、それを指摘し解説する人が比較的に少数である。 この一見相反する二つの命題は実は一つのものの互いに対立し共存する二つの半面を表現するものである。この見かけ上のパラドックスは、実は「あたま」という言葉の内容に関する定義の曖昧(あいまい)不鮮明から生まれることはもちろんである。 論理の連鎖のただ一つの輪をも取り失わないように、また混乱の中に部分と全体との関係を見失わないようにするためには、正確でかつ緻密(ちみつ)な頭脳を要する。紛糾した可能性の岐路に立ったときに、

    Nean
    Nean 2015/08/26
    素人だからできる/専門家だから諦めるというような話を目にすると思い出す。
  • 織田作之助 終戦前後

    小は大道易者から大はイエスキリストに到るまで予言者の数はまことに多いが、稀代の予言狂乃至予言魔といえば、そうざらにいるわけではない。まず日でいえば大教の出口王仁三郎などは、少数の予言狂、予言魔のうちの一人であろう。 まことにこの出口王仁三郎という人の生涯と、そのおびただしい予言とは、切り離して考えられぬ位である。ところが、いかに稀代の予言狂とはいえ獄中にあっては、予言癖を発揮する自由がなくなってしまって淋しいことであろうと思っていたら、さすがに雀百まで踊忘れずである。王仁三郎旦那は、取調べに当った検事に向って、 「昭和二十年の八月二十日には、世界に大変動が来る。この変動は日はじまって以来の大事件になる」 と予言して、検事に叱り飛ばされたということである。 私は予言というものを大体に於て信じない方であるが、この話を今年の六月頃に聴いた時、何となく「昭和二十年八月二十日」というものを期待

    Nean
    Nean 2015/08/15
    《高段者の将棋では王将が詰んでしまう見苦しいドタン場まで指していない。防ぎようがないと判ると潔よく「もはやこれまで」と云って、駒を捨てるのが高段者のたしなみである》。
  • トオマス・マン Thomas Mann 実吉捷郎訳 ヴェニスに死す DER TOD IN VENEDIG

    Nean
    Nean 2015/08/12
    おっ。
  • 太宰治 親友交歓

    昭和二十一年の九月のはじめに、私は、或る男の訪問を受けた。 この事件は、ほとんど全く、ロマンチックではないし、また、いっこうに、ジャアナリスチックでも無いのであるが、しかし、私の胸に於いて、私の死ぬるまで消し難い痕跡(こんせき)を残すのではあるまいか、と思われる、そのような妙に、やりきれない事件なのである。 事件。 しかし、やっぱり、事件といっては大袈裟(おおげさ)かも知れない。私は或る男と二人で酒を飲み、別段、喧嘩(けんか)も何も無く、そうして少くとも外見に於いては和気藹々裡(わきあいあいり)に別れたというだけの出来事なのである。それでも、私にはどうしても、ゆるがせに出来ぬ重大事のような気がしてならぬのである。 とにかくそれは、見事な男であった。あっぱれな奴であった。好いところが一つもみじんも無かった。 私は昨年罹災(りさい)して、この津軽の生家に避難して来て、ほとんど毎日、神妙らしく奥

  • 北大路魯山人 生き烏賊白味噌漬け

    東京で西京漬けと呼んでいるのは、京都産の白味噌に魚類を漬け込んだものを言う。白味噌は京都が場で、京都以外でできているものもないではないが、品が落ちる――となっている。白味噌は辛味噌からみると、大豆と糀(こうじ)とがかっていて塩が少ないために、甘酒ほどではないが、甘味のかった味噌である。これに漬け込む魚類は大体決まっていて、まながつお、あまだい、太刀魚が最適である。さわら、たいなども漬けないではないが、肉が締まりすぎる嫌いがあって、最適とは言えない。同じく肉は締まっても、ぶりはかなり効果的でまず例外である。白味噌漬けというものは元来高級品であり、且つ味噌そのものからが廉価ではないから、下らない魚類を漬けることは許されないわけである。ところがいかという例外がある。いかは肉の厚い大形のすみいか、あおりいかが認められて、やりいかは、やすっぽく扱われているが、新しくさえあればやりいかほど小味で、微

  • マルセル・シュヲブ Marcel Schwob 上田敏訳 癩病やみの話 RECIT DU LEPREUX

  • マルセル・シュヲブ Marcel Schwob 上田敏訳 法王の祈祷 RECIT DU PAPE INNOCENT 3[#「3」はローマ数字、1-13-23]

  • マルセル・シュヲブ Marcel Schwob 上田敏訳 浮浪学生の話 RECIT DU GOLIARD

  • 作家別作品リスト:中里 介山 - 青空文庫

    小説家。名は弥之助(やのすけ)。東京都羽村市生まれ。父の家業不振のため苦しい少年時代を送る。小学校高等科卒業後上京。電話交換手からのち小学校教員となる。この間、キリスト教と社会主義の影響を受ける。1905(明治38)年、白柳秀湖(しらやなぎしゅうこ)らと雑誌「火鞭」(かべん)を創刊。同誌に短編「笛吹川」を発表。翌年「都新聞」入社。1909(明治42)年、同紙への連載小説「氷の花」をかわきりに「高野の義人」など数々の作品を掲載。1913(大正2)年「大菩薩峠」の連載を「都新聞」で開始。作はこの後、掲載紙を変えながら断続的に1941(昭和16)年まで書き継がれる。しかし長大な作品(四十一巻)は作者の後半生を呑み込み、なお未完に終わる。1919(大正8)年「都新聞」退社。旺盛な執筆活動を続けながら、道場や私塾経営のほか「隣人之友」をはじめ各種雑誌の発行を手がける。生涯を通じトルストイの影響を

  • 岡本かの子 上田秋成の晩年

    文化三年の春、全く孤独になつた七十三の翁(おきな)、上田秋成は京都南禅寺内の元の庵居(あんきょ)の跡に間に合せの小庵を作つて、老残の身を投げ込んだ。 孤独と云つても、このくらゐ徹底した孤独はなかつた。七年前三十八年連れ添つたの瑚尼(これんに)と死に別れてから身内のものは一人も無かつた。友だちや門弟もすこしはあつたが、表では体裁のいいつきあひはするものの、心は許せなかつた。それさへ近来は一人も来なくなつた。いくらからかひ半分にこの皮肉で頑固なおやぢを味(あじわ)ひに来る連中でも、ほとんど盲目に近くなつたおいぼれをいぢるのは骨も折れ、またあまり殺生(せっしょう)にも思へるからであらう。秋成自身も命数のあまる処を観念して、すつかり投げた気持になつてしまつた。 文化五年死の前の年の執筆になる胆大小心録の中にかう書いてゐる。 もう何も出来ぬ故(ゆえ)、煎茶(せんちゃ)を呑んで死をきはめてゐる事ぢや

  • 徳田秋声 黴

  • 坂口安吾 第二芸術論について

    近ごろ青年諸君からよく質問をうけることは俳句や短歌は芸術ですかといふことだ。私は桑原武夫氏の「第二芸術論」を読んでゐないから、俳句や短歌が第二芸術だといふ意味、第二芸術とは何のことやら、一向に見当がつかない。第一芸術、第二芸術、あたりまへの考へ方から、見当のつきかねる分類で、一流の作品とか二流の芸術品とかいふ出来栄えの上のことなら分るが、芸術に第一とか第二とかいふ、便利な、いかにも有りさうな言葉のやうだが、実際そんな分類のなりたつわけが分らない言葉のやうに思はれる。 むろん、俳句も短歌も芸術だ。きまつてるぢやないか。芭蕉の作品は芸術だ。蕪村の作品も芸術だ。啄木も人麿も芸術だ。第一も第二もありやせぬ。 俳句も短歌も詩なのである。詩の一つの形式なのである。外国にも、バラッドもあればソネットもある。二行詩も三行詩も十二行詩もある。 然し日俳句や短歌のあり方が、詩としてあるのぢやなく俳句として

  • 中原中也 デボルド―※[#濁点付き片仮名ワ、1-7-82]ルモオル

  • 芥川龍之介 谷崎潤一郎氏

    僕は或初夏の午後、谷崎氏と神田をひやかしに出かけた。谷崎氏はその日も黒背広に赤い襟飾りを結んでゐた。僕はこの壮大なる襟飾りに、象徴せられたるロマンティシズムを感じた。尤もこれは僕ばかりではない。往来の人も男女を問はず、僕と同じ印象を受けたのであらう。すれ違ふ度に谷崎氏の顔をじろじろ見ないものは一人もなかつた。しかし谷崎氏は何と云つてもさう云ふ事実を認めなかつた。 「ありや君を見るんだよ。そんな道行きなんぞ着てゐるから。」 僕は成程夏外套の代りに親父の道行きを借用してゐた。が、道行きは茶の湯の師匠も菩提寺の和尚も着るものである。衆俗の目を駭かすことは到底一輪の紅薔薇に似た、非凡なる襟飾りに及ぶ筈はない。けれども谷崎氏は僕のやうにロヂックを尊敬しない詩人だから、僕も亦強ひてこの真理を呑みこませようとも思はなかつた。 その内に僕等は裏神保町の或カッフエへ腰を下した。何でも喉の渇いたため、炭酸水か

  • aozorablog » 青空文庫2014年度新規公開作品の一日当りアクセス数ランキング

    カテゴリー:電子書籍,青空文庫 | 投稿者:POKEPEEK2011Author: POKEPEEK2011 About: 青空文庫は論語を青空形式注記で入力してiPhoneで読もうとしたことから、いろいろtweetするようになりました。最近では、毎月のアクセスランキングの増加率ベスト30を計算して、twitpicで掲載することもしています。See Authors Posts (144) | 投稿日:2015年2月7日 | 2014年度新規公開作品で500位ランキングに入ったのはXHTML版で6作品、テキスト版で14作品と、2013年度(XHTML版8作品、テキスト版9作品)と比べて大幅に減り、2011年度、2012年度並に戻った(2011年度:XHTML版8作品、テキスト版9作品、2011年度:XHTML版10作品、テキスト版10作品)。やはり、2013年は吉川英治作品のビッグイヤーであ

  • 寺田寅彦 茶わんの湯

    ここに茶わんが一つあります。中には熱い湯がいっぱいはいっております。ただそれだけではなんのおもしろみもなく不思議もないようですが、よく気をつけて見ていると、だんだんにいろいろの微細なことが目につき、さまざまの疑問が起こって来るはずです。ただ一ぱいのこの湯でも、自然の現象を観察し研究することの好きな人には、なかなかおもしろい見物(みもの)です。 第一に、湯の面からは白い湯げが立っています。これはいうまでもなく、熱い水蒸気が冷えて、小さな滴になったのが無数に群がっているので、ちょうど雲や霧と同じようなものです。この茶わんを、縁側の日向(ひなた)へ持ち出して、日光を湯げにあて、向こう側に黒い布でもおいてすかして見ると、滴の、粒の大きいのはちらちらと目に見えます。場合により、粒があまり大きくないときには、日光にすかして見ると、湯げの中に、虹(にじ)のような、赤や青の色がついています。これは白い薄雲