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命懸けるに値しない兵器 特攻艇の元乗組員 [2012年09月26日 14:53] メールで記事を紹介する 印刷する <写真上>旧日本軍の特攻艇「震洋」=「写真集 人間兵器震洋特別攻撃隊上巻」(震洋会編)より<写真下>波佐さんが予科練時代の写真(1944年夏ごろ) 太平洋戦争末期、ベニヤ板製の小型ボートに大量の爆薬を積み、敵艦向けて体当たりした旧日本軍の特攻艇「震洋(しんよう)」。その乗組員だった波佐(はさ)義明さん(89)=大分市=が太平洋戦争末期の隠れた歴史の一端を語った。波佐さんらが台湾の観光局から、震洋に関するドキュメンタリー制作で取材を受けたことがきっかけ。「命を懸けるに値しない兵器で『仕方ない』と特攻するつもりだった…」。不条理さへの耐え難い思いに駆られた戦争当時を振り返る。 波佐さんは福岡県出身。1943年、飛行機に乗るつもりで旧海軍甲種飛行予科練習生(予科練)に志願。憲
海岸線から5キロ超まで水没 [2011年03月14日 22:35] メールで記事を紹介する 印刷する 海岸線から5キロ超まで水没 東日本大震災で津波に襲われた宮城県南部から福島県北部の太平洋岸では、一時的に水没した範囲が海岸線から内陸部に向かって最大5キロ余りに達していたことが14日、衛星画像を使った広島工業大の菅雄三教授(空間情報工学)の解析で分かった。 2004年のスマトラ沖地震で、タイのプーケット島の水没範囲は海岸線から約3キロだった。菅教授は「想定外の大きさの津波と地震に伴う地盤沈下によって、未曽有の災害となった」と話している。 菅教授は宮城県石巻市から福島県南相馬市の海岸線約130キロについて、米航空宇宙局(NASA)が震災前の2月16日と震災2日後の3月13日に撮影した画像データを重ね合わせて解析。 その結果、震災後の13日の時点で海岸線から最大で5・2キロ内陸まで水没
コネ、カネなしなら減点も―。教員採用試験をめぐる汚職事件の捜査が進むにつれ、試験制度が完全に形骸(けいがい)化し、口利きとわいろにむしばまれていた実態が明らかになってきた。 関係者によると、直近の二〇〇八年度の小学校教員採用試験における不正の手口はこうだ。 当時、県教委義務教育課の人事班の総括だった江藤勝由容疑者(52)は一次試験の終了後、採点結果を集計した成績一覧表を作成。これを上層部に提出すると、口利きなどによって、不正工作を依頼されている受験生に「印」が付き、江藤容疑者の手元に一覧表が戻ってくる。 同年度、不正工作を依頼されていたのは二十人前後。江藤容疑者は「印」が付いた人物の得点を加点し、合格できるよう便宜を図っていたという。 一次、二次の両試験でそれぞれ十五人ほどが加点を受けたとみられる。特に、試験の出来が悪かった数人は一次、二次の両試験で加点を受けた。江藤容疑者
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