『ジャクソン・ハイツ』を描き出すワイズマンのキャンバスはとりどりの色彩と意匠であふれている――多様な言語で描かれた商店の看板と店先の雑多な品々、屋台の手書きメニュー、八百屋やファーマーズ・マーケットに並ぶつややかな野菜(ゴーヤまである)と果物、行き交う多種多様な顔貌と装い。フィルムはジャクソン・ハイツの全景に始まり全景に終わる。冒頭の昼の街(高架を走る鉄道とその下に軒を連ねるローズベルト・アベニューの商店街、大通りに沿った建物と広場)は、玩具のようににぎやかな色をまき散らし、ラストシーンの夜景は花火に彩られる。 サウンドトラックは多様な言語と音楽で埋め尽くされている。ジャクソン・ハイツでは167もの言語が話されているというから、この作品に登場するのはそのごく一部に過ぎないのだが。コロンビア、メキシコ、プエルトリコなどからのラテン系移民が多く住むこの街では日常的にいろいろなラテン音楽を聞くこ
中国の若手映画作家、応亮(イン・リャン)の短編4作品がアテネフランセで上映された(クリス・フジワラの「現代映画とは何か?」の一環として)。洗練された映画的形式と、日常生活を貫く政治的暴力の生々しい表現を両立させる力量に感嘆した。 「薬」(2009年、白黒)冒頭のいくつかのショット(練炭を火鉢にくべ、そこに鍋を乗せる手のアップ、火鉢が置かれた部屋で立ち働く少女を玄関の方向から見るショット、180度の切り返しで、祖母が病で臥せっている奥の部屋から玄関とその向こうの通りを見るショット、祖母が床に転がす湯呑のアップ、火鉢のある部屋の棚から新しい湯呑を取る少女)は、一見古典映画の佇まいである。飾り気のない室内、少女が身に着けている質素な服、火鉢と薬の鍋、湯呑といった白黒の画面に見合った素材が鮮烈に捉えられ、かつ力強くカッティングされる。玄関側の部屋と奥の寝室だけの簡素な共同住宅の構造は、シンプルな数
Akatukiyamiさん(当ブログ運営者のわたしが常々日本映画に関して貴重な指導を頂戴している友人)から、加藤泰『ざ・鬼太鼓座』についての素晴らしい論考をお寄せいただいた(もともと複数のメールであったものを、わたしが独占するのはもったいないと思い、無理を言って一文にまとめていただいた)。『ざ・鬼太鼓座』の美質が鋭く、簡潔に明らかにされていると思う。多くのかたにお読みいただければ幸いである。Akatukiyamiさんにこの場を借りて厚く御礼申し上げます。(荒井正樹) 加藤泰『ざ・鬼太鼓座』 Akatukiyami 渋谷のユーロスペースにて、1月21日から加藤泰の遺作『ざ・鬼太鼓座』(1981年)のデジタルリマスター版が公開されている。自分は公開第一週目に観、またそのすぐ四日後に再見して、つくづく感じ入ってしまった。そこで本作品の魅力について、ささやかながら言葉を尽くして
対話集会「津久井やまゆり園 重度知的障害者殺戮事件と優生思想を考える」のお知らせです。 時 11月13日(日) 13:45(開場13:15)~17:00 場所 杉並区永福和泉地域区民センター 第1〜第3集会室 (http://www.city.suginami.tokyo.jp/shisetsu/katsudo/center/1006945.html) 定員 100名(先着順) 資料代 300円 主催 特定非営利活動法人てんぐるま 協力 マイノリティ・フォーラム 後援 杉並区 お問合せはこちら。 Mail:info@tenguruma.org TEL:03-6868-4912 永福和泉地域区民センターは永福町駅から徒歩5分、会場までの道は平坦です。会場もバリアフリーです。ぜひいろいろな立場のかたにお越しいただきたいと思います。 なお集会に先立って、同じく13日10:30~1
東京国際映画祭にあわせて開催されているフィルムセンターの特集「UCLA映画テレビアーカイブ 復元映画コレクション」(10月25日-11月6日)に連日通い、上映作品の質の高さとフィルムの表現力の豊かさに目をみはっている。 近年、デジタル技術を駆使して旧作を保存したり再評価したりする試みが活発になされていることは、映画好きにとって喜ばしい。ただ、そうした修復は通例フィルムのデジタル保存というアウトプットに向かって行われている。小津後期作品のデジタルリマスターなどが一例で、わたしたちはデジタル上映を通じて修復結果を受容している。 これに対してUCLA映画テレビアーカイブから今回フィルムセンターが借り受けた12作品は、すべて35mm フィルムである。ノイズ除去や褪色の修復過程などでデジタル技術が活用されているとはいえ、アウトプットをフィルムにするという、今日では贅沢な方針が採られている。もちろん超
相模原市の福祉施設における虐殺事件から一週間が過ぎた。きわめて残忍かつ陰湿なヘイトクライムであり、日本社会の現状に鑑みて深刻な出来事である。 犯行に至る経過、そこでの犯人に対する警察の対処、福祉施設に求められる対応とその問題点については、毎日新聞の取材班による報告がよくまとまっている(記事のタイトルは「弱者」でなく、「わたしたち」とすべきだが)。 「相模原の障害者施設殺傷 事件発生から1週間 弱者どう守る」 http://mainichi.jp/articles/20160802/ddm/010/040/012000c 事実はこの記事に委ね、ここでは以下の二点について述べる。 第一に現政権がいっさい口をつぐんでいることの異常さである。なぜこれほど重大な事件に対して声明を出せないのか、その理由は明白だ。安倍晋三とその「ブレイン」は事件をたいしたことと考えておらず、またこれへの言及が政権にと
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く