タグ

ブックマーク / 1000ya.isis.ne.jp (10)

  • 0231 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    この2日間で、母の通夜と葬儀をおえた。92歳だったから天寿を全うしたのだと思う。炬燵にあたってTVを見ながら往生した。 母は少女時代を大正期に送った絣(かすり)と袴(はかま)の似合う京都の人だったが、女学校の頃にラジオドラマ・コンクールで優勝するような演劇好きでもあった。その母を偲んで、母がファンでもあった戸板康二さんの一冊を贈ることにする。 【劇場愛・大谷竹次郎】双子の大谷竹次郎と白井松次郎がつくった松竹を支えたのは、大正の歌右衛門・中車・仁左衛門・羽左衛門たちで、その弟分を左団次・菊五郎・吉右衛門が後押しをした。しかし大谷は演目の決定にはすこぶる頑固だった。古老格の遠藤為春・川尻清潭・木村錦花にも身震いをして拒否権を発動した。が、実のところは「娘道成寺」「鳴神」「河内山」などの坊さんの出る芝居がたんに好きだっただけで、「新薄雪物語」などのよほどの顔揃いじゃなきゃできない大芝居は嫌いだっ

    0231 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
    Nean
    Nean 2017/06/04
    “ぼくが父に連れられて歌舞伎の楽屋にちょこちょこ出入りしていたころは、翌日の新聞には必ず岡鬼太郎とか伊原青々園とか三宅周太郎の劇評が出ていた”。……三宅以外、岡、伊原は松岡出生以前に鬼籍入。
  • 0362 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    昔、「がっがっが鬼のげんこつ汽車がいく」という小学生の俳句に腰を抜かしたことがある。教えてくれたのは初音中学の国語の藤原猛先生だった。難聴の藤原先生は「がっがっが」と大きな声でどなり、「どうや、こういうのが俳句なんや」と言った。 トンボを手づかみするように、桃をほおばるように、子供は言葉を五七五にしてしまうのだ。書にもそういう句がいっぱいある。腰を抜かしたものもある。このと同じ版元で同じ金子兜太監修の『子ども俳句歳時記』という有名ながあって、そこにもびっくりする句が多かったが、このの句もすごい。あらきみほのナビゲーションも絶妙である。 ともかくも、以下の句をゆっくり味わってほしい。すぐに俳句をつくりたくなったらしめたものだが、おそらくそれは無理だろう。あまりの出来に降参するというより、しばし絶句するというか、放心するにちがいない。とくに理由はないが、季節の順や年齢の順をシャッフルし

    0362 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
    Nean
    Nean 2016/06/08
    “ドングリや千年前は歩いてた”
  • 1222 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    オーレリア ジェラール・ド・ネルヴァル 思潮社 1986 Gerard de Nerval Aurelia 1855 [訳]篠田知和基 デュマの親友にして、シュルレアリスムの先駆者。 ユゴーの支援者にして、社会主義の幻視者。 いまだに評価を定めさせない、意外な言動。 詩人であって、見神者であって、狂人。 扇動者であって、真の語り部。 ネルヴァルは自分がつくった物語に生きた。 たくさんの登場人物の幻想集合体でもあった。 たとえば『オーレリア』だ。 この超越的で、フランス的な複式夢幻能を、 ぼくは榛名山の麓で、久々に読み返した。 はたして、夢はもうひとつの人生なのか。 先だっての連休を榛名山麓ですごした。関東在職の高野山派の坊さんたちに「二一世紀の空海」の話をするためだ。この坊さんたち、なかには脱帽すべきスジモノもいるのだが、おおむねは現状維持派や惰性派が多い。それをちょっと蹴破るために“父な

    1222 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
    Nean
    Nean 2015/07/09
  • 1534夜 『ハッカーと画家』 ポール・グレアム − 松岡正剛の千夜千冊

    先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。 ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。 それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、

    1534夜 『ハッカーと画家』 ポール・グレアム − 松岡正剛の千夜千冊
    Nean
    Nean 2014/09/26
  • 0540 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    このにはずいぶん影響をうけた。お会いしたことはないが、こういう人が歴史の襞の中を右へ左へ、奥へ裏側へ、あたかも"知の紙魚"のごとく掘削している姿を博学広才な文章で読むのは、まことに贅沢な気分にさせられる。 フランスのグルノーブルの生まれで、戦時中を東京でおくって慶応の経済学部。大学院で中世フランス文学を専攻。その後はパリで古書店をくまなく歩く日々。フランス語は得意中の得意で、とくにファブリオーをはじめとする中世の説話に通暁している一方、落語にも詳しく、とくに御伽噺にはめっぽう強い。こういう人が日には必要なのである。 松原さんがどのように"知の紙魚"となって昔の話の中に入っていくのか、ひとつ例を紹介する。 『御伽草子』に「ささやき竹」という話が入っている。岩波文庫でいえば『続御伽草子』に収録されている。かなりおもしろく、それなりに複雑なのに、分量といい、配役といい、組み立てといい、まこと

    0540 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
    Nean
    Nean 2014/08/01
  • 松岡正剛の千夜千冊

    先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。 ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。 それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、

    松岡正剛の千夜千冊
    Nean
    Nean 2014/01/08
  • 0753 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    おととい、銀座の一隅で話をした。「文化パステル」という銀座を拠点にした変わった会の主催で春の特別講演会と銘打たれていた。福原義春さんの紹介だった。ぼくはちょっとパステルなというか、散りはじめた桜の風情を枕に山健吉と丸山眞男を引きながら、「稜威の消息」をめぐって話した。外は小雨だった。 その朝、家を出てタクシーで銀座に向かうと、あちこちの桜が小雨のなかで明るく悄然としている姿が窓外を走っていた。ああ、今年の東京の桜も終わったなという気分だったので、桜と稜威をつないでみたかったのである。 桜が咲き始めるころは、今年も桜が咲いたか、どこかに見に行くか、どうしようかなと思い、桜が真っ盛りのころはその下で狂わなければなあ、去年もゆっくり桜を見なかったなあと感じ、そのうち一雨、また二雨が来て、ああもう花冷えか、もう落花狼藉かと思っていると、落ち着かなくなってくる。寂しいというほどではなく、何かこちら

    0753 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
    Nean
    Nean 2013/05/27
  • 松岡正剛の千夜千冊

    先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。 ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。 それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、

    松岡正剛の千夜千冊
  • 0089 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    芸術に抵抗があって挫折もあるだなんて当たり前のことだが、その体験の苦渋を当人から血液検査の血のように採取して、これを遠心分離器にでもかけようというのは、おまけにそれで症状診断をしてみせるというのは、今日のぼくからするとよほどの文芸的にすぎる医療行為なのである。 このは、大学に入って最初に買った記念すべき一冊だった。ぼくは大学に入ってすぐに三つのサークルに入っている。「丹生{にゅう}の研究」の松田寿男さんのアジア学会、その後は鍼灸師や翻訳家やオルタナティブ社会のリーダーになっているが、当時は有能な演出家だった上野圭一がリーダーをやっていた素描座(ここで照明技術を担当した)、それに週刊で「早稲田大学新聞」をつくっていた新聞会である(その後、グライダーとヘリコプターが好きだったので、航空倶楽部にも所属した)。 その三つのサークルのどこにいても、そのころの早稲田キャンパスから耳障りなように聞こえ

    0089 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
    Nean
    Nean 2012/03/17
  • 1159 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    最初に白状しておくが、このの461ページでぼくは不覚にも涙ぐんでしまった。 石岡瑛子はソルトレイク冬季オリンピックのために、デサントがサプライヤーとなるレーシングウェアとアウターウェアをデザインした。そのひとつ、セレモニーウェア「ガラ・コート」を着たスイス選手団が、ゴールドメダリストのシモン・アマンの掲げる国旗を先頭に入場してくる場面のくだり。 選手団が着ているのはデサントが開発したモルフォテックス素材を銀色に仕立て、裏を真っ赤に染めたマキシコートである。赤は石岡瑛子の勝負の色だ。それが一瞬、厳寒の風にあおられて翻った。ウォー・ウォーという歓声がどよめいた。凍てつく観客席にいた石岡瑛子も小さな握りこぶしを挙げた。 デサントのプロジェクトは難産につぐ難産だったようだ。石岡瑛子はもはやこれでは仕事を全面的に降りるしかないというところまで追いつめられていたのだが、それが乾坤一擲、事態が一転して

    1159 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
  • 1