『大日本帝国憲法』発布の日に 明治22年(1889)2月11日、明治天皇が「大日本憲法発布の詔勅」が出されるとともに大日本帝国憲法が発布され、国民に公表された。この憲法発布は天皇が黒田清隆首相に手渡すという欽定憲法の形をとり、日本は東アジアで初めて近代憲法を有する立憲君主国家となったのだった。 2月11日は、日本神話で初代天皇とされる神武天皇の即位日とされる「紀元節」で、皇室典範も同時に制定された。また、議院法、貴族院令、衆議院議員選挙法、会計法などもあわせて定められている。 憲法発布の日は、前夜の大雪があがって朝から晴れわたり、憲法発布の儀式が宮城で挙行され、午後には観兵式が行われた。なお天皇皇后は、1月11日に赤坂仮皇居より、造営された新皇居である宮城に移っていた。 当時の国民は、憲法の内容が発表される前から憲法発布を歓迎し、奉祝門やイルミネーションが飾られ、提灯行列が行われた。新聞各