スーパーのレジ打ちの女性が、しゃがんで立ち上がるときのこと レジ台の上に置いてあったカゴに頭ぶつけて「あいたっ」って言って、その後恥ずかしそうに頭を軽くさすってはにかみながら会計してくれたこと
今日の特売買いに行った レジ終えて袋詰してたら、隣に小学校3-4年くらいのメガネかけた女の子がきた 親と買い物かな、と思ったけど親はこない 俺がもたもた袋詰してる間に、テキパキとマイバッグに袋詰してさっさと出口に歩き出してしまった 俺もそのタイミングで終わったから同じ出口にむかった 出口前に手で開けるゲートがあるんだけど、俺は女の子が通ったゲートの後ろをそのまま通ろうとした そしたら女の子が立ち止まって、後ろの人のためにゲートを手で開けておいてくれた 通った後少し離れて振り向いたら、まだ後ろの人のためにゲートを開けてあげていた 俺は感激した そしてこんなことで感激する俺がすごくおっさんになってしまったと感じてうれし悲しい気分になった 女の子は小さな自転車で来ていた 財布を入れた小さなポシェットも忘れずに持っていた 俺は感動して抱きしめたくなったけど我慢した あの子にいいことがありますように
どこのスーパーでもある「客がトングで欲しいだけ詰める」タイプのお惣菜。 自分の好きな組み合わせを好きな量だけ取れるので非常に便利ではあるが衛生管理を気にしだしたら無理になった。 商品は当然通路に面しておいてある。 ちょうど商品の高さで子供たちがくしゃみや咳をする。 そうじゃなくてもそこに置かれてからずーっと外気に暴露されている。 まあ買わなきゃいいだけ。と思っていたら夕方過ぎの見切り品はそういうセルフでとる商品をパック詰めして売っていることに気づいた。 製造時間なんてパック詰めした時の時間だろ?当初並べられた時間から大幅にずれてる。 最初からパックしておく商品も展開してほしい。人件費的に無理なのかな。 こういうことは店に直接言えという話だが、1店舗だけ言ってもしょうがない。 売る側の人は気にしたことないのかな?気にはなっても利益率が高いのか?
ゴミ溜めみたいな部屋でスーパーの半額ちらし寿司を食うゴールデンなウィーク
だがしかしによって周辺の閉店した駄菓子屋が復活したという話を聞かない。 僕は大阪住みだけど、西成にたくさんあった駄菓子屋が だがしかしというアニメ作品によって再開したという話を全く耳にしない。 それどころかコンビニやスーパーの駄菓子商戦の影響もあって 駄菓子屋に来るお客さんが少なくなり、殆どいなくなって すっかりしょ気返ったお婆ちゃんが、ガラガラと店を下した悲しげな背中を見て 思わず貰い泣きしそうになったよ。 だがしかしによって本当に駄菓子屋は復活したんだろうか。 大阪の都会だからそんな事がなかっただけかもしれない。 きっと兵庫とか奈良の駄菓子屋は無事に復活して 小さなお友達の賑わいの場になっている事を想像して 今日もコンビニでうまい棒を買い漁る事にしたい。
土日は楽しかった。 今日は一人で買い物した。本当は友達も一緒の予定だったけど体調不良でキャンセル。もともと一人で行くつもりだったから構わなかった。 前半は欲しかったものや可愛い服が買えたので満足した。 次に入った店でどのパンツを買うかで延々悩んでいるうちに、自分の体型や、優柔不断な性格に苛立ち始めた。 おまけにさっき買った荷物が重くて、立ちっぱなしで足も痛くなってきた。 やっとのことで買い物を済ませ、まだ見たいものもあったけど疲れたので帰ることにした。 風が冷たい。寒くて吐きそう。 夕日に向かって自転車を漕ぎながら、ぼんやり、しにたいと思った。 寂しいなあって。生きるのだるいなあって。明日仕事行きたくないなあって。 もし今日友達が一緒なら、こんな気持ちにはならなかったのかなあって。 母親に用があったから電話するつもりだったけど、声を聴いたら泣いてしまいそうだから今日は無理かも。 晩ご飯の材
徒歩で日本一周に挑戦しようとしたが外を3分ほど歩くと思いのほか風が強くて寒かったので無念のリタイアを決意し近所のマックスバリューで2割引きの惣菜を買って家に帰り六畳一間でひとり静かに諦める勇気の大切さと大自然の恐ろしさを改めて認識することになった。
あまりにもたくさんの種類の野菜、肉や魚、食品を見ると不安になる。閉店間際になっても売れていない肉や魚、野菜、これらは破棄されるんだろうか?この品揃えが実現するために毎日どれほどのものが捕獲され、そして作られているのだろうって。 不要なものを今年はたくさん処分または寄付をしたのだけれど、処分する大変さを思うと物を持ちたいと思わなくなった。 こんなに沢山のものをゴミとして出す罪悪感から、使えそうなものは寄付に出した。 そして、世の中にこんなに物が溢れているのが恐ろしくなった。 今はネットでファストファッションの裏側やら、低賃金で劣悪な環境で資源を仕入れている業者やらの情報が簡単に目に入るようになって、いままで無意識に買っている物の制作過程に想像が及ぶようになった。 誰かや何かが犠牲になってできている素敵な安い商品。そんな物をひたすら消費することに、罪悪感を感じるようになった。 かといってミニマ
大したことではないんだけど、今日、スーパーでちょっと高めの袋に入ったおでんを買ってきた。 6種類、それぞれ2個ずつ入ってる、というもの。 中を見ると二袋入ってるのでそれぞれ一人分だろう、と勝手に思ってて、 特に注意すること無く一つを袋ごと温めた。 で、袋を空けて見てみると、なんか練り物ばっか。 玉子とかも入ってる、と書いてあるのに。 で、よく身て見ると、練り物系と玉子や昆布等は別袋に入ってるらしい。 つまり、もう片方には無駄に玉子が2個。 袋が2つはいってるので二人前だけど一人分ずつ食べれる、ということではなく、種類によってちょっと味付けとかを変える為に2つの袋に分けているらしい、よく読むと。。。 ということで今日は練り物ばかりのおでん、明日は練り物無しのおでんになります。
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