ラブライブの映画のブルーレイを買ってきた。 なんかしんないけど¥3980で売ってた。 ついでに、ではないが自分はテレビアニメ見たこと無いので本編と続編?の1巻と最終巻も買ってきた。 ウソみたいな値段で売ってたので。 最初と最後見ればストーリーは分かる・・・よね多分。 これで紅白も大丈夫だ。
映画版「ハーモニー」を見た後、「屍者の帝国」も見てきた。 「ハーモニー」が百合で、「屍者の帝国」が┌(┌ ^o^)┐だった。 *** 以下、ネタバレを含みます。 *** 内容を要約すると、 ワトソン→フライデーからのフライデー→ワトソン。 ロンドン塔で、フライデーがザ・ワンにNTRRるが、ザ・ワンを倒して、ワトソン×フライデーの世界へ。 と思いきや、エンドロール後にワトソンがホームズにNTRR。それをじっと見つめるフライデー。 サイドストーリーとして、 バーナビー×クラソートキン、クラソートキン×アリョーシャ、バーナビー×山澤清吾など。 詳細はpixivで。 「屍者技術」は原則的に男性のみに施す、というのが原作での設定だから 「屍者の帝国」はまさに「腐女子向けの帝国」になるんだなぁ。
先月くらいに届いたライジングのDVDを劇場で観た以来やっと観てもうしみじみ思った。タイバニ、最高だ。 アニメがちょうどあってるか終わったくらいになんかめちゃめちゃホモっていうぼんやりした評判と腐女子の血が騒いでハマったんだけどもう、ホモとかじゃない。作品が素晴らしい。 しばらく間を開けてタイバニという作品に触れたからか、少し違った感想が出てきた。 まず、キャラが濃い。全員、魅力的。特にネイサン。アニメシリーズを見ていた時は笑いだったり安心感だったりを与えてくれるような存在だった。 それがライジングで一転。シリアスを一手に引き受け、涙をズルズルズルズル引きずり出す。 同性愛だのが最近話題に挙がることが多いけれど、もうタイバニ見たら一発解決という感じ。一回、これ観て泣こ? 結局、ネイサンがヒーローやファンから愛されるのも、ネイサン自身の人柄のお陰。 同性愛者だから、こう。ではなくてネイサンはこ
映画けいおん!が劇場公開されたのが2011年12月3日だった。 自分は田舎に住んでるので封切りと同時に地元の映画館で観られなかった。フィルムが回ってこないんだよね。 そしてそのまま、やっと地元で上映される時がきても見に行かなかった。 けいおん!を自分の中で終わらせたくなかったからだと思う。 劇場版を見てしまうと、もう物語を見られなくなってしまうから。 いくら好きになっても続きは手に入らないから。 こういう傾向がある人はいると思う。 そんな状況のまま今まで過ごしていたら、豊崎愛生のラジオに代打で寿美菜子が来た。 そこでチラッとけいおん!のことに触れたことをきっかけに、映画を見てみた。 唯たちの日常とロンドン旅行と高校卒業をみたら胸が苦しくなった。 あんな青春を過ごしたかったなあ、と。 それと同時に、けいおん!が自分から離れていくのを感じている。 自分の中で物語が終わっていく。とても寂しい気分
ラブライブ映画はけいおんになかった葛藤をぶち込むことで骨太人間ドラマと化したと気づいてからすごく面白く感じた 近年の青春ものアニメでは一番すごいかも
疲れたOLを癒すための映画みたいな宣伝になってるの? 子どもに見てもらったほうが製作者も嬉しいんじゃないの?
「津川雅彦が解説。邦画とアニメ、なぜ世界でここまで差がついたのか」 http://www.mag2.com/p/news/88014 を読んで。 イケイケの日本アニメとハリウッド映画の共通点にシリーズ物が定着してることがある。 ハリウッド映画ならスーパーマンとかバットマンとか007とかで、日本アニメならルパン三世とかドラえもんとかコナンとかクレヨンしんちゃんとか。 監督が変わってもどんどん新しい作品が生まれてきて、しかもこういうのって比較的若い監督のことが多いから、若い監督は経験積めるし、その中から優秀な監督がどんどん生まれてくる。 映画会社としても、安定的に収益を確保できるから、若い監督を起用しやすい。 もちろん監督だけじゃなくて、アニメーターとか担当者も成長できるし、優秀な人が発掘されやすくなる。 細田守とかクリストファー・ノーランはこういうシリーズ物で素晴らしい業績を上げて、有名にな
青春モノって少年少女の性欲や行為を示唆する描写がところどころにあって抜けるよねとかいう話じゃありません。いやな感じがする、方の「いやらしい」です。 2ヶ月弱前、映画『心が叫びたがってるんだ』を見てきました。 来場者特典が非常に豪華で、映画の主題となるクラス演劇(ミュージカル)のパンフレットと、そのクラスのメンバーを演じるキャスト全員のサイン(縮小コピーで一枚の色紙に印刷してある)というもの。 特典が豪華というのはもちろん嬉しいんですが……。 劇中劇のタイトルが「青春の向こう脛」。 サインの方は、書いたキャストさんの名前は挙げませんが「これぞ青春!」「素晴らしき青春」などと書き添えられたものが何点か。 「うわっ」ってなりました。 劇のタイトルは映画本編でも「内容と関係なくない?」と突っ込まれていて、なんでそんなタイトルにしたし……。 しかしそれでも、「なにが『うわっ』なんだよ」と思われる方も
(注意:以下の文章には『風の名はアムネジア』(1990年の映画)のネタバレが含まれています。) 俺は『風の名はアムネジア』(原作:菊池秀行、1990年のアニメ映画)が嫌いだ、はっきり憎んでいると言ってもいい 知らない人のためにざっくり紹介すると ある日突然地球上の人類すべてが記憶をなくし文明は崩壊する、車イスの超能力少年とか出てくるがすぐに死ぬ、その後文明崩壊後の地球をメーテルと一緒に旅して、最終的に機械の体ではなくメーテルの体を手に入れるタイプのキノの旅だ 原作を読んだことはないので一度だけレンタルビデオで見たその記憶だけで話す 何が嫌いかというとそのオチである ・まずメーテルは宇宙人である ・そしてこの話は『ある日突然人類すべてが記憶をなくす』ところから始まるが、それはこの宇宙人どもの仕業である ・なぜそんなことをしたかというと、この宇宙人ども、長い旅路の果てに地球を見つけ、「こいつら
「こんなの後で死ぬに決まってるだろ」 「俺は見抜いてたけどね」 アニメや映画でよく見かける匿名系の人たちのセリフだ。いわゆるフラグと近年では呼ばれるものなのだが、明らかに不穏な空気を漂わせたりしつつ視聴者にそれとなく展開を匂わせる、つまり答えをわからせる技法は明確に存在している。わかりやすいものなどは、ホラー映画などで顔の半分だけ映されて背後にぼやけた風景だけが映しだされるというもの。これによって仮に無音であっても背面から何かが迫ってくるという緊張感を与えることができる。こうした技法はゲームなどにもよく見られるもので、よくよく読み解いてゆくとリドルが文中に含まれていたりするものもある。プレイヤーに優越感を与える程度の難しさで偽装し、あえて読解を迫るのである。村上春樹の『1Q84』なども実はこの手の手法が散見される。この話のメインプロットの方は、主に『空気さなぎ』システムとそれに巻き込まれた
原作の「冒険者たち」と比較して批判するならともかく、どうしてアニメの「ガンバの冒険」基準で言っているのか。 いや、理由は分かってる。 自分たちがアニメ版しか知らないからだろ。 しかし原作小説のファンの立場から言わせてもらえば「ガンバの冒険」だって原作とは別物だぜ。 土着の伝統芸能の再興事業に、後から引っ越してきた人たちが文句を言っているような理不尽さを感じる。
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