家族が苦手なだけだということに気がついた ひとり暮らししよう というかみんな何を目標に生きてるの?することなくない?
想定しているのは社会人の再学習組だが子供にも当てはまると思う 数学が出来ない人は「テキストをここからここまで読んで」と言うとその指示通りにテキストを読むということがまず出来ない 途中の数式を平気で読み飛ばす 別に学習障害があるというわけではないのだが、どうやら式を追うだけの集中力がない 式の上に目を走らせているときだけ頭が思考停止モードに入っており、それでも目は走らせたから読んだ気になっている こんな読み方でもテキスト一番最初の部分はたいてい理解できてしまうので最初の演習は解けたりする しかし前にやったことを前提として積み上げていく一般的なスタイルのテキストではすぐに理解力の限界に突き当たる どんなに簡単に書かれたテキストでも数式を飛ばし読みしていては数式の説明も頭に入らないので「読んだ」という主観的な体験と実際の読みの成果としての理解に大きな齟齬が生まれる 数式のない一般書なら読めるので
僕は自分が好きだ。 死んだような目も好き、ボクシング上がりのボクサーみたいな唇も好き、猿みたいな耳も好き、低すぎる鼻も好き。 自分を卑下する性格も好きだし、流行りものを嫌う性格も好きだし、友達づきあいがうまくいかない性格も好き。 どれだけ頑張っても暗記できない自分の脳も好きだし、ストレスを自分ひとりで抱え込むのも好きだし、こういった恥ずかしさしかない駄文をネットの海にばらまくのに躊躇ないのも好き。 そうとでも思わないと、やってけませんよね。
うーんいまいち・・・ どうやら思い出を美化しすぎていたようだ 無理やり続編作って失敗したケースだなこれは 2時間近くがすごく退屈に感じられた 見なけりゃよかった マスク2は見るのやめたのに、メン・イン・ブラックだからどっかで面白くなるはずと思って期待しすぎた
シンガポールに来て数年が経つ。 ローカルと同化しローカルローカルな生活をしている間に気づいた事を書く。 シンガポール人の年収は平均600万とか言われているが 月収600万あるような奴が時々いるのであんまり当てにならない。 良く見かける求人とかでは300万前後が多い気がする。 多分上位10%をカットしたら平均年収はこれぐらいになるんだろうと思う 物価は日本の1.5倍ぐらいなので相当生活はきびいしい。 年金制度のCPFがあり、日本よりもらえる金額は高い。 すばらしい。と思う人がいるかもしれないが、、実際のところはCPFの殆どは 東京以上に高い住宅の購入費用とローンに消える。 3部屋の家を買ったが500000SGDらしい。4000万だ。とても払える金額ではない。 シンガポール人が悩むのが良くわかる。 子供が産まれたら第三国に妻子を出国させ、HDBを貸出して支払いにあてるしか無いのか。 どうすれば
例えば愛液をドライパウダー化してもいいが その時には戻すための液剤として同少女の尿を必要としたい それぐらい望んだっていいじゃないか 私は何年も何十年も我慢してきたのだ まだこれから死ぬまで我慢をし続ける だからこれぐらい望んだっていいじゃないか 私が健康な美少女になったら増田のチンポの性欲処理ぐらいしてあげるのに、
最近、プリパラが性的でどうこうって記事を目にした。 色々な点で不用意な記事だったと思うけど、言いたいことはわかる気がする。 プリパラが性的かどうかはさておき(それは誰が判断するの?という問題があるので)、性的に消費されている、そんな局面は多少ネットを掘っていれば目にする。 それを知った上で、プリパラを見る女児(あるいは娘)に無邪気に接することができるかというと、多少のためらいがあってもいいのではないか。 無論プリパラの先進性はよくわかっている。男の娘キャラにそれは端的に現れているんだろうし、ブラ外しがどうこう叩かれていたが、それは正しさと正しさがぶつかりあった結果だろう。 そして、女児がプリパラを見ること、あるいは女児がプリパラを見ることを傍観することに対して何らかの断罪、ないし性的なニュアンスの感受をしたいのではない。 さらにいうと、「これは歴史的に反復しているものである」という指摘に反
要するに学者にとっては初心者向けなんだけど、 偏差値底辺校から、それなりの大学を目指す人向けの小学校の知識から学びなおせるような勉強の本ってあんまりない。 そういう人って、自分がつまづいた時代の勉強のドリルを買って勉強しなおしてから、やっと勉強ができる。 学びなおすために必要な本が、普通の人の倍以上になってしまう。 学びたいのに学び方にアクセスできない人が、貧富の差の加速で増えてるのに 勉強するための本は、一億総中流の時代を想定した本ばかり。ある程度みんなお金を持っていて 義務教育でも親が教育に多少興味があれば、学ぶための最低限の知識が手に入る。そういう時代はもう過去なのに 出版とか、一部の業界がまだそういう底辺があふれた時代についていけてないような気がする。
サクリファイス、エデン、サヴァイヴと同一作者のロードレース作品を読んだ。いつ買った本だったか思い出せないけど、新潮の帯が結構憎い。そりゃサスペンスとかミステリーの要素がラストにあるけれど、これらの作品の本質はそこじゃねえだろうと言いたくなる。季節の企画だから仕方がないといえばしかたがないのだけれど。 ともあれ、これらの作品(サクリファイスとエデンは長編、サヴァイヴは短編集)は、タイトルがストレートにテーマとなっている青春スポーツ小説だった。プロのスポーツ選手が抱いているであろう心情が丁寧に描かれていたし、ロードレースという競技自体も過不足なく魅力が書き表されていたと思う。 主要な登場人物はみんな自転車で走ることが大好きな酔狂者ばかりだった。自転車で走ることが好きすぎるから勝ちにこだわるし、エースのために尽くそうとするし、薬物に手を出してしまったりする。根底にはどうしようもない業があるんだな
プリキュアが始まった当初、まだ幼かった俺は女子と会話中に言い馴れない プリキュア を ブビビュバ と噛んでしまった。 それ以来、プリキュアと聞くたびにブビビュバと周囲の失笑が頭の中をかすめていく。 ちゃんと連続して観たことがないので、毎年へー今年はそんな名前のプリキュア(ブビビュバ)なんだー、 この子が新しいプリキュア(ブビビュバ)なのかー、という程度にしか触れていないのだが、 スプラッシュしたり、ゴー!ゴー!と妙に元気よかったり、スライム(スマイル)だったり、ドキドキしてたりして、なんかもうブビビーでビュバビュバだ。 長年一人で堪えてきたし、彼女たちが悪と戦いながら一体何をブビビュバしてるんだか俺には知る由もないけど、この苦しみを一人で味わうのはもうたくさんだ。 というわけで、みんなもこの呪いにかかって、プリキュア≒ブビビュバがもっと一般的な認識になって欲しい。 そんな思いを込めて、この
特定のエントリに言及するわけじゃないが、大人になってから幼少期に受けた行為を思い出して性虐待とかいいだすの、違うと思うんだよな。 それ、当時は何ともないと思った行為を、性知識や男性蔑視(女性蔑視)を覚えた今の感覚で、再評価してるだけだろと。 こういうと当時から嫌だと思ってたというかもしれないけど、いやそれ間違いなく後付けで記憶が改竄されてるって。嫌だったら嫌って当時から言ってる。 さんざん親に反抗して迷惑かけておいて、「嫌なことがあっても何にも言えなかった自分」みたいな都合のいい子供の頃の自分像つくるなよ。 結局、当時なんとも思ってなかった事を「性虐待」にするために、どんどん改竄を重ねていかないといけなくなるわけ。母親も見て見ぬふりしてたとかさ。 なんつーか、こういう人ってオムツかえて貰ったことも「0歳時の頃から父親に性器を触られてた」とか言い出しそうな勢いなんだよな。 行為がまず存在して
あるセクシャリティをあげつらって 凶暴であるとか好色であるという意味で狼に例えたり、信じてはいけない、警戒しろと訴えかける歌があるらしい しかもそれが極東の国では流行歌となり、アニメのOPとして子供たちの耳にも入っているとか もし本当ならこれは許されることではないだろう
イヤホンさがすとカナル型ばっかり見つかるたびに、耳垢湿ってワキガの自分は少数派なんだなと、すごく落ち込む
私は白状するけど脚フェチだ。 だから解るんだがグラビアの写真(立ち写真が多い)でフォトショで修正が加えられているのだ。大抵の場合は細くなるようにしている。 アイドルや芸能人に詳しくてグラビアやポスターよく見る人だったら、よりいろんな部分に目がいくことだろう。 個人的な脚フェチ観点から言うと、変な言い方だが当然自然な方が不自然じゃなくて良い。 不自然じゃないから美しさがあって、だからエロスが醸成される…わけだが、そうなってくると敢えてそれを修正する意味はなんなのだろうか。 誰もがみんな形の良い脚を持っているわけではないことは誰もが知っている。そうしたことを踏まえてフェティシズムは顕現しているのでは? そうした常識ともいえる実態を差し置いて修正する意味は? 私はリアル世界の脚にフェティシズムを感じるわけだから、その脚が充分じゃないからと言って修正することは、魅力を修正してしまっていることに他な
国際的な警察組織を できるだけフェアな試験制度 をクリアした優秀な人材で組織して 各国軍隊を集約していき、 孤立を選ぶ北朝鮮的な国を追い込んで 最終的に刀〔核兵器〕狩りする 警察組織の予算はこれも 国際的な税収財務処理組織を できるだけフェアな‥re これらをコントロールする国際機関は できるだけフェアな‥ あるいは選挙。笑 むしろこれを どうやって実現するのかわからんけど。
軒並み年下で泣ける。 更に最近話題になる”懐かしの”が自分にとってはシリーズ後期の新作扱いになってたりして泣ける。 そういう会話になって自分にとってのコアな時代の話をすると、さらに老齢オタクが出てきて若いもの扱いしてくる姿が言いようのないほどに泣ける。 いと悲しきマウンテンゴリラたちよ。今宵もお前にのぼらんや。
アニメという媒体の幅が大きく広がったのに、 それを細分化することが上手くできていない問題があるのかな 少年誌の漫画も深夜アニメ化されて中高生もそれを見るようになって、 一方で萌アニメも盛況で、他方にはもっと高尚な表現を目指す指向もある だけどそれらは一見しただけでは、それがどんな作品で、 どんなターゲット層を想定しているのかがわかりにくい 原作があればその掲載誌から判断することもできるけど、 オリジナルアニメではキービジュアルなどから想像することしかできない そもそもどこかで明確に線引きできるものでもないし、 制作側でもあまり極端なカテゴライズを避けようとしているように見える まどマギの成功がその動きをさらに後押ししてしまっているかもしれない 岡田麿里批判の増田はそうした作品選びでつまずいてしまって、 見るべきアニメを見られていないだけのように思える 作品の良し悪しではなく、向き不向きの問
艦これの話で恐縮なんだが、 今回のイベントはE6までは甲作戦で来ていて、ついさっきようやくE6まで終わった。 資源もバケツもふっとんだ。 時間もないし、そもそも俺が甲をやるのは名誉とかではなく報酬目当てなので、E7は丙で行くことにしたわけ。 そしたら簡単すぎて拍子抜けしている。 キラとか全く付けなくてもほとんど被弾しないし、道中は先制雷撃終了時点でほとんど戦闘が終わってしまっている。 ボスも基地航空隊を出すだけでS勝利余裕。 去年の春イベントが初イベだったんだが、 そのことは丙でも結構きつかったんだがなあ・・・ 丙でも地獄に思えた夏E7は、今やると楽勝なんだろうか。
自分は声が小さい方だと思っていて、誰かを呼んでも1回で気づいてくれないことが多い。 最近は意識的に大きめに発音するときはしているけれども、気づいてくれないこともある。 そうなってくると自分に非があるのか相手に非があるのか分からなくなってくる。 別に大きい声を出せないわけではないけれども、大きい声を出して相手に声が大きすぎって思われるのも嫌だ。 そういうのを思うと、今喋っている声が何dBかとか目の前にふわっと表示されたらいいのになって。
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