ファーレントゥ――――――――――――――ガ
![さぁ月曜日だぞ](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/b1638cdb5807a4788e4ba3c1109a984166e095fc/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fanond.hatelabo.jp%2Fimages%2Fog-image-1500.gif)
呼んだデリヘルにチェンジという間もなく帰られる それが3回続いて諦める ソープへ行ったら嬢と対面する前に出禁になる いやぁ、不細工は辛いですね
むしろそれで全部教えたと思い込んで手前がやるような一級品の仕事をいきなり新人に押し付けてどうにかなるわけがない。 その事は新人を教育した手前なら当然分かってたはずだ。 問題はフォローせず報連相の徹底や残業地獄においやって精神的に追い詰める事に尽きる。 これでは新人は一向に成長しないばかりか、自信喪失を起こしてしまい結局辞めてしまうのではないか。 そこは先輩社員らしく新人をフォローしてやり、方法や報連相、最低限のマナーを教えてやらなければならない。 それもOJTの一環である。 とにかく忙しいからと教える事を先送りにすると、結局は会社の損失に繋がるので面倒くさがらずにやってもらいたい。 一応教育費は払ってるはず、なのだが報連相が出来ていないのは新人よりも教育側にあるみたいだ。
18歳の女。 私服OKなバイト先に30代中盤のきれいなお姉さまがいる。 顔立ちがキレイでスタイルがいい、たぶん若い時モテたんだろうな、って思う。 結構ミニスカートを着る人で、私も好きなもの着ればいいじゃんって感じだったからどうでも良かったんだ。 ある日その人がタイトなニットワンピを着てきたのだけど、まず最初に下品だなって思っちゃった。 足が細いし顔もしゅっとしてるけど、タイトなニットのせいで下っ腹が出てるのが見えた、これって年のせいなの? 多分、私はその時初めてその人の全体を見たんだと思う。キレイな人なんだよ、本当に。 でも顔と服装が全然合ってなくて、ミニスカートから伸びるきれいな足も下品にしか見えなかった。 言い方は悪いけど、昔の映画に出てくる安いベテラン娼婦さんみたいな、それに近い下品さを感じたの。 自分の友だちがミニスカートを履くことに違和感なんて無い。むしろみんな似合ってて良い。
ある人が発した同性愛者に対する侮辱発言を指摘したら 「たしかにそうですね.ここにいるかもしれませんもんね.配慮が足りなかったです」 と言われたんだけど,マイノリティに対するあからさまな侮辱発言が許されないのは, その場にマイノリティが"いるかもしれないから"ですか? その論理だと,例えばゲイがその場にいないことが明白であれば, ゲイを侮辱する発言は OK ということになりますよね? 一方であなたは,アフリカ系アメリカ人がその場にいなかったとしても, アフリカ系アメリカ人を意味する言葉として, ニガー,ニグロ,クロンボ を使いませんよね?なぜですか? 世間的に使ってはいけないとされているからですか? ではなぜ使ってはいけないとされているんでしょうか? どうして使われなくなったのでしょうか? なぜだと思いますか?
僕はエッチなことしか書けへん、増田に。 いままでエロかったのは、 17歳の女子とで、おちんちん舐めるときに、 「今朝Yahoo!で調べてきたんですよ(ふぇらの)」から始まって、 僕がいったあと、しばらくして気付いたように「お掃除お掃除!」って されたことも。 想像してない想定外のことしてくる人とは楽しくお互い成長する。 お尻にいれるかな。のときに、ちょっとふにゃってまごまごしたとき、 手で探ってゴム着けてるの確認して、ぱちんっ、て外されたとか。 いつもゴム付けるのお願いされてた女子が、 僕が壁にもたれて、膝を立てて、おちんちんも立ててテレビ見てたら、 ふつーに生で挿れて跨ってきて、 「つけてないですよ」「あらら旦那さん以外の人とこんなことするなんていけない」。 僕はネットでほんのちょっと知れてたりして、 女子とメールのやり取りすると、お茶でもってなるんだけど、 最初から「会うときはせっくる
・何も教えなくてもやる気があるなら出来て当然 ・俺が"今"出来るんだからこいつも教えたら"今すぐ"出来るようになるはず ・他の奴の教え方が俺と違うはずがない何故なら俺の教え方こそが世界のスタンダードだから ・俺が間違った事を言ったらすぐに言い直せただし俺が間違った事を言ってもはいはい言って言い直すな ・失敗したのはお前の練習不足 ・成功したのは俺の指導力 ・常に試験本番を意識して路上の常識に囚われるなただし試験だったらどうかばかり考えずに路上の常識にも従え ・俺が常に不機嫌なのはお前らが人間として不甲斐ないから ・絶対に俺が間違えることはないもしも間違えることがあったらそれは俺の注意力を阻害するお前らの存在が悪いのだ 皆も教習所で学んだことを活かして人間性の豊かな社会人になろうね。
今日はなにもノーアイデアだけど、 きっとキーボードの前に座れば何かしら書けるような気がしてきたわ! もう、考えもせず進めていくと適当な文になるし、 今日の分の原稿用紙を埋めるには充分よ。 小学生の頃ってさ、 作文書きなさい、はい原稿用紙4枚ね。 みたいな宿題とかが何かとあったじゃない、 あれって苦痛だったわ。 原稿用紙って、なかなか埋まらないのよね。 でも、毎日これ増田書いてるのは原稿用紙2~3枚、 多き時では10枚くらいサラッと書いちゃうんだけどね。 と、キーボードの前に座ってみて、ここまでサラッと書く。 でね、 きっと親指シフトのキーボードだったら 話すように打てるって言うみたいだし、 そっちにしたら、 サラサラもっと書けるかな? でも、いまさら覚えるのも大変よね。 一度かな入力できるように、 一瞬だけ練習しようと思ったけど、 キーボード一番上の列がなかなか覚えられなくて 結局断念だわ
まあ、マルチタスクィーンでもあるんだけど、 料理するときって あいだの時間に細かいことマルチタスクで行わなくちゃ、 狭いキッチンだと 一気にシンクが洗い物や生ゴミでいっぱいになっちゃうわよね。 最近やっとちょっとできるようになったのが 時間の掛かるもの、 例えば肉切って煮込んでる間に 野菜の皮剥いて切ったり、 その間に、また洗いものさっと済ませちゃったりと、 料理ができあがるのと同時に、 キッチンも全部片づいてしまってるという素晴らしい快感に最近ハマってるのよね。 我ながら素晴らしいと。 そして優雅に なにかの肉を煮込んだ美味しいやつを 赤ワインと一緒に頂くディナーとか、いいじゃない。 すてき。 我田引水!自画自賛!手前味噌!って感じよ。 なんか、後からシンクを見返したら 洗い物であふれてるって言う我に返って気付くってのはげんなりだしね。 だから、最近ちょっとお料理上手感がアップしてきた感
俺は、整形していない。 もし痩せていたら、それ以上努力しても無理だからとあっさり整形するけど。 痩せていないということは、努力が足りていないということだから、それで整形するのは甘えのように感じている。 というか、仮に痩せたとして、服装を伊勢丹で買って、美人にナンパしまくって、それでもダメなら整形するしかないとたぶん考える。 う~ん、でも、イケメンホストとかv系のバンドマンとか普通に整形してモテまくってるわけだから。 だから、整形は正解なのかもねえ。
自分たちのためならなんでも犠牲にする義兄夫婦にとにかく腹が立つ。 義兄が旦那の進路を決めやがった無茶苦茶過去の話になるけど、旦那が高卒で就職かというときに まともな職についてもらわないと俺の進路に支障が出るからちゃんと考えてくれ。と言ったらしい。 旦那の夢は別にあったのに。 このエピソード聞いてから義兄のことが大嫌いになった。 共働きなのに子ども3人。一番上が高校1年男、真ん中が小学校4年生女、一番下が小学校2年生男。 出張がある仕事についているので学童にお迎えができないときに車で片道2時間かかるこちらに頼んでくる。 一番上の子が小さいときは義姉実家にほとんど頼りっきりだったが、義姉の父親が入院してからこちらにもしわ寄せがきた。 一番上の子は通学に1時間以上、バイトもしてるのでお迎え要員に使えない。中学までは頼ってたんだろう。 旦那の母親が一人で行ければいいんだけど、目の手術をして車の運転
別に自分があの先生とどうこうなりたい訳ではないんだよな… 妻子を大切にする、素敵なおじさまでいてほしかったんだよ ああほんと幻滅だ…
運転中のアプリ使用を一切できないようにという、息子を亡くした父の言葉に反発するアホコメントが多い。別に運転中に使用できなくしてもいいだろと思うのだが何か不都合があるのだろうか。 アホコメント① ポケモンGOじゃなくて自動車・スマホを規制しろ→できるわけねーだろ。 アホコメント② 使う側の問題だからポケGOを規制する必要はない→アホは減らせない。アホに危険運転をするアプリは減らせる。実際に人が死ぬんだぞ。 アホコメント③ もう運転中はできない仕様になってる→その仕様でも人が死んだんだが。だいたい「私は運転中ではございません」と1回タップすれば再開できるじゃねーか。 アホコメント④ ポケGOを規制しても他のアプリをするだけ→ポケGOはゲームの性質的にもユーザー数的にも危険運転への寄与度が他のアプリとは桁違いだ。ポケGOを規制するだけでも死人の累積発生を減らせる可能性はかなり高いと思う。 個人的
依存といってもその人からコンタクトがあるまで極力接触は避けていた。 寄っかかられすぎるととうざいと感じるのは自分がそうだからよく分かっている。 たまに会って話を聞いてもらったり、好きなものを教えてもらったり。 辛い時や苦しい時、その人のくれた言葉を思い浮かべて頑張れる、お守りのような存在だった。 今日久々に会って、何となくよそよそしさを感じた。 きっと私の思い過ごしで、多分いつも通りに優しかったのに、帰宅して号泣した。 勝手に期待して勝手に傷ついて我儘だ。 その人がちょっと雰囲気が違うだけで、自分には生きている価値がないんだと思ってしまう。 もう依存したくないのに、その人以外の救いが見つからない。
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