樊城の戦いで龐徳(ほうとく)の矢を腕に受けた関羽(かんう)。しかし、矢傷にしては傷の治りが遅い…むしろ悪化しているのでは?流石に気味が悪く思った関羽は荊州に引き返します。 そこで、名医・華佗(かだ)に診てもらったところ、受けたのは毒矢で、おそらくトリカブトの毒であること、骨を削って毒を取り除かなければならないことを伝えられます。関羽がその方法を尋ねると、華佗は腕を切り開かなければならないと告げます。 当時は今のような部分麻酔などありませんから、腕を切られる痛み、骨を削られる痛みをダイレクトに受けるわけです。飛び上がってしまうほどの痛みですから、華佗は関羽に家の柱に腕を固定する許可を得ようとします。しかし、関羽の答えは「否」。 仕方なく華佗はそのまま腕を切開しますが、関羽は涼しい顔で酒をあおりながら馬良(ばりょう)と碁を打ちはじめる始末。関羽の肝の据わりっぷりに驚いた華佗は謝礼を受け取らなか
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