『ボヘミアン・ラプソディ』が生み出したフレディ・マーキュリーという "偉人"評価が真っ二つに割れている『ボヘミアン・ラプソディ』。このレビューでは劇中のフレディ・マーキュリーの言動を通じて、クィア映画の葛藤を考察する。 有名人の伝記映画には、お決まりの型がある。栄光、挫折、そして差し伸べられる救いの手。公には知られざる影の面までストーリーに折り込むことができたら最高だ。 主人公が同性愛者であり、かつ人気絶頂期にカミングアウトしていなかった場合、ありきたりの伝記映画になるのを防げる上に、確実に面白いものになる。彼らのセクシュアリティを描くこと自体が、大きなパンチラインになってくれるからだ。 フレディ・マーキュリーと彼がボーカルをつとめたバンド、クイーンの伝記映画が制作される。そのニュースが流れた時、多くの人はフレディ・マーキュリーがどう描かれるのか懸念を抱いた。 2010年、映画の企画初期段