お江は、姉二人と比べると言い伝えとか遺品とかが少ないような気がする。 でも数少ない中にお江の残した文があるのは、かなり前から知っていた。 今回はそれについて書きたいと思う。わけあって情報を得た経緯を時系列に 書くので、だらだらと長くなるが、もしよろしければお付き合い願いたい。 初めてお江の文があることを知ったのは角田文衛著『日本の女性名』を読んだときだ。 原文が、実物の写真じゃなくて活字になって載っている。 岐阜市佐野の栄昌院に、二通あるうちの一通の原文である。どちらもお初宛の書状らしい。 栄昌院というのは、明治になって小浜市にある常高寺の尼さんが岐阜に移って 建てた寺らしい。それで初の遺品が残っていたようだ。 『日本の女性名』では、文ではなく署名を示すために引用されているので現代語訳は ついていない。 そのため、「将軍」がどこかへ行ってめでたい、みたいなことを書いていることしか わからな