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ブックマーク / dimbla.hatenablog.com (1)

  • ふたなり聖女信仰が息衝く山間の農村 - 歩く姿は燕子花

    信じるということは、自分の幸福を外界に委ねることである。己の力だけではどうにもならない事象について、自らの外に対してその解決を望むと言うことが、信じることの質に他ならない。 あなたは両親を、家族を、恋人を信じられるだろうか。友人を、先輩を、上司を、先生を信じられるだろうか。顔も名前も知らないインターネット上に存在する人物を信じられるだろうか。その実在すら危ぶまれるものを信じられるだろうか。人間はそこまで心の強い生き物ではない。せいぜい、存在に確証が持てる相手を信じることが精一杯だろう。だからこそ宗教には偶像が存在するし、出エジプト記における有名なモーセの十戒をしても、真に敬虔な信者以外の偶像崇拝を止めることは出来ない。 十字架、仏像、絵画、偶像崇拝の対象を上げればきりがないが、その殆どは「実体のない神を信じるという行為の難しさ」を示していると思う。土着宗教あるいは原始宗教における神とは自

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