厚生労働省が1月26日にまとめたインフルエンザの発生状況によると、全国の推計の患者数は約283万人で、調査を始めた1999年以来最多となった。学級閉鎖や学年・学校閉鎖になった保育園、幼稚園、学校の数は、21日までの1週間で7536カ所にのぼっている。
約700万年前に生まれた原生人類は、 およそ6万年前にアフリカを飛び出し、 果てしなく長い時間をかけ、 世界のあちこちに拡散していきました。 その壮大な人類拡散の過程を ブライアン・M・フェイガンというイギリスの考古学者が、 「グレートジャーニー」と名付けました。 基本的に「熱帯性の動物」であるヒトが、 アフリカからユーラシア大陸を経て、 広大な無人の新大陸(南北アメリカ大陸)へと旅していった、 この過程「グレートジャーニー(The Great Journey)」は、 人類の歴史のなかでも 最大級の冒険、と位置づけられているものだそうです。 その「グレートジャーニー」のなかでも、 もっとも長い距離を旅した人々の軌跡が、 ベーリング海峡をわたって (=ユーラシア大陸と北米大陸をつなぐ海峡です) 南米最南端までたどりついた人々の旅路。 1993年、 関野吉晴(せきのよしはる)という探検家が そ
みなさん、こんにちは。 関野です。 ぼくは「グレートジャーニー」という、 アフリカで生まれた人類が どんなふうに世界に拡散したかの 軌跡をたどる旅を、ずっとやってきました。 もともとぼくは、もう44年前、 1971年に初めてアマゾンに行きました。 そこから20年間は、南米ばかり歩いてきました。 最初の10年はアマゾンをめぐりました。 10年後からはアンデスとか、パダゴニアとか、 ギアナ高地とかも行くようになりました。 ただ、アマゾン以外の南米でも、 リマなどの大きな町にはいないで、 ほとんど先住民の人たちと一緒に暮らしていました。 そして、南米以外は知らない状態でした。 南米の先住民の人たちと日本人って 見た目がよく似てるんですね。 ぼくが町から彼らの村に帰ってきて、 お土産の太鼓とか弓矢とかを持って 裸足で歩いてると、かならず呼び止められて、 「あんたは何族だい?」と言われるほどなんです
最後の歴史長編を刊行した塩野七生さん(新潮社写真部撮影) 「最後の歴史エッセイ」と決めて書いた作品が刊行されたばかりの塩野七生さん。選ばれた題材は、弱冠二十歳でマケドニアの王となり、三十二歳で夢のように消え去ってしまったアレクサンダー大王。なぜアレクサンダーを選んだのか、歴史を書く喜び、読む愉しみについて聞いた。(聞き手・伊藤幸人/新潮社) *** ――塩野さんが書いた文章がはじめて雑誌「中央公論」に掲載されたのが一九六八年。来年でデビュー五十年ということになります。今日はこの間のことをいろいろとお聞かせいただければと思っています。私がはじめて塩野さんと仕事をしたのは二十八歳のとき、三十五年前ということになります。 塩野 聞き手があなたでなければ言葉を選ぶところですが、今日はちょっとしゃべりすぎちゃうかもね。それにしても三十五年ですか。ずいぶんうまいこと続いたわね。喧嘩もせずに。 ――どう
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