このブログでもたまに書いているが、外国語の学習はスポーツと同様に才能というか得意、不得意があり、すべての人間に母国語ではなく外国語の一定レベルの習得を基準として設けることは愚行であり時間の無駄であると思う。例えば英語を義務教育として課し、一定レベルの理解能力、会話能力を目標として設定することは、すべての子供が100メートルを16秒以内で走れることを目標とするのに近いような馬鹿らしいことであると思っている。 ときたま語学能力に極めて優れた人間に会う。例えば、ロシアで3年間、ドイツ語を学習して、その後、ドイツで2年間生活しただけで、ドイツ人でさえドイツ生まれだと思うほどの完璧なドイツ語をしゃべるロシア人大学生。チェコ生まれチェコ育ちで、ドイツ語はほとんどのドイツ人が外国人だと思わないほどのレベルで話して書け(勤務先はドイツの大学)、日本語も電子メイルだと日本人が書いているのかと思うぐらいの完璧