ポストモダン界隈にあるよくある問題点の一つに専門用語の濫用がある*1のだが、哲学者の植村恒一郎氏が『専門用語の「乱用」は何で悪いのですか?』と言い出した(togetter)。濫用ではないと言う弁護はよく見かけるが、濫用を正当化しようとする議論は珍しい。しかし、ぽつぽつとその理屈を聞くことになったのだが、事実誤認と語義曖昧論法と自然主義的誤謬ヒュームの法則に反するによる詭弁になっていた。 植村氏の主張は、私が理解できる限り*2で、私なりの要約を行なったものだが、以下の三つである。それぞれ、氏の主張の問題点を指摘したい。 1. 専門用語の定義は表面的なものであり、学問に対して貢献していない 誤謬ですらない事実誤認。専門用語の定義が変わったら、付随する定理や法則が意味をなさなくなるので、定義はまさに学問の核心である。中世ぐらいまで曖昧な概念で科学や数学をしていて間に合っていたところもあるのだが、