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ブックマーク / note.mu (5)

  • 母が毒親の一線をこえたあの日、子供時代が終わってしまった|瀧波 和賀|note

    去年書いたトトロの記事に、大きな反響をいただいた。 今からはじまる物語は、この記事の「ゼロ話」である。 小学3年生の初夏。 9歳になったばかりの私は、「子供の権利」を手放した。 これは、私の子供時代が、無残に終わってしまった日のお話。 ずっと消えない壊れた時間が、いまもここに、残っている。 親の毒を味わうしかない、サビシイ子供だった「わたし」から、今日もどこかで子供と関わる、すべての人へ。 「好きじゃない方の子供」だった、わたしひとつ年下の弟がいる。 3歳くらいのときから、母は私よりも弟のことがカワイイのだな、とハッキリ理解していた。 誰になにを言われるでもなかったが、ちょっとした声かけや態度の差から、幼いながらに読み取れたのだ。 例えば保育園の帰り道。 歩いていて転んだとき、母は私に「も~なにやってんのよ、大丈夫?」と迷惑そうな視線をよこした。 しかし弟が転んだ時には、言葉より先にかけよ

    母が毒親の一線をこえたあの日、子供時代が終わってしまった|瀧波 和賀|note
    PEEE
    PEEE 2019/01/23
    きょうだい育てるって、自分の幼少時代の経験もあってすごく難しいと感じているから躊躇してしまう。
  • 文系でプログラマーになったけど色々失敗して3年半で会社を辞めた話|denkigai

    このnoteをすべてのインターネット探索者(Internet Explorer)達に捧げる。 2018年12月31日、新卒入社して3年半勤めた会社を辞めた。東京の八重洲にある、フリーペーパーやWebサービスを作る会社で働いていた。いわゆる「文系プログラマー」というやつで、文系学部を卒業後、会社に入ってからプログラミングを覚えた。現在は退職してフリーランスになり、個人で開発しつつ、ずっと漫画を描いている。 3年半のあいだ、大きく分けて2つの失敗をした。 1. プログラミング入門の仕方に失敗した 2. プログラミングを覚えてから何をすればいいかわからなかった 前者の失敗の結果、プログラミングを投げ出して京都に逃亡した。後者の失敗では精神を病み、3ヶ月休職をすることになった。前者は笑い話だが、後者は人生に暗い影しか落とさない。これからプログラミングを始めようと考えている人には同じような失敗を避け

    文系でプログラマーになったけど色々失敗して3年半で会社を辞めた話|denkigai
    PEEE
    PEEE 2019/01/21
    R社ぽい。意識高くて勉強会やプライベート勉強や日常的アウトプット当然とする人が周りに多くて感化されがちなのは辛いね。自分は非情報系理系から専攻替えだけど楽しくやれてる。
  • お前は絶望的にプログラミングに向いてないから諦めて刺身にタンポポ乗せる仕事でもやってろ|古都こと|note

    刺身にタンポポ乗せる仕事ってきょうび言わねーな……。 プログラミングとは、勉強も運動もスマブラも下手なクソ隠キャ中学生が「俺もパソコン1台で凄い技術者になって…!」とワクワクしながら始めるものの思ったより普通に難しいし学校の試験で出たような知識要求されるしで3日で放り投げ、10数年後にnoteで「お前らは絶望的にプログラミングに向いてないからやめろ」なんて記事を書くだけのザコに成り下がる、夢と希望に溢れた技術である。 近年ではパソコンのスペックの上昇にともないできることも増え、どこのご家庭にもあるRTX2080で簡単にディープラーニングもできるようになった。Unityで3Dゲームをバリバリ動かしてもブルースクリーンは出ない。やっぱ世界を広げるのは小賢しい知恵よりもスペックの暴力だぜ。 開発環境や言語も選択肢豊富で、エディタもかつては有料クラスでも手に入らなかったような贅沢な機能が満載のもの

    お前は絶望的にプログラミングに向いてないから諦めて刺身にタンポポ乗せる仕事でもやってろ|古都こと|note
    PEEE
    PEEE 2019/01/01
  • フリーエンジニアがコネなしの状態から、月200万を安定して稼げるようになるまでの話|入江 慎吾 ⚡ サービス開発だけで生きていく|note

    フリーエンジニアでサービス開発をしている入江慎吾といいます。 独立してから早7年。ここ2年くらいは毎月平均200万位の売上を上げれるようになりました。 この記事では僕がフリーとして独立してから、どのようにして受託開発で安定して稼げるようになったかを書いていこうと思います。(ちなみにアフィリエイトとか、情報商材とかではなく正攻法の開発で稼いでいます) 独立当初は仕事がなかったのでブログとサービスづくりに励んでました2011年に独立しました。まず、僕がやっている仕事はスマホアプリ開発、Webシステム開発、Webサイト制作の3つ。 初年度はコネも全くなくて苦労しました。それまで制作会社に10年勤めていたのですが、クライアントの引き抜きはしないように...と何もアプローチせず退社しました。 しかし、しばらくして以前勤めていた会社で取引があったクライアントが直接僕を探して問い合わせしてくれました。正

    フリーエンジニアがコネなしの状態から、月200万を安定して稼げるようになるまでの話|入江 慎吾 ⚡ サービス開発だけで生きていく|note
    PEEE
    PEEE 2018/05/06
  • Appleとフォトライセンス契約を結びました。改めてフォトグラファーの仕事について考察してみる|保井崇志|note

    どうもこんにちは、Tuck @_tuck4 です。 Appleとフォトライセンス契約を結びました。 新しいiPadのPR に写真が使われています。 Appleのフォトエディターからライセンス希望の連絡をいただき、とくに時間もかかることなく、金額もこちらの言い値でとんとん拍子で契約となりました。おろらく第一報の時点ですでに決定していたのかなと思います。 一枚の写真にこれだけの金額を払ってくれること、その価値を感じてもらえたこと、それがAppleだったこと。フォトグラファーとしてこれほどの喜びはありません。ちょっとまだ信じられない気持ちでいます。 Twitterでの報告もたくさんの反応をいただき、改めてAppleという会社の偉大さに気づかされます。そんなわけで、今回のことでわたくしのことを知った方もいるかと思います。フォトグラファーって実際どうなの?という方もいるかもしれません。 結論から言

    Appleとフォトライセンス契約を結びました。改めてフォトグラファーの仕事について考察してみる|保井崇志|note
    PEEE
    PEEE 2017/03/27
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