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2020年6月5日のブックマーク (5件)

  • 性行為30回で億万長者に、自殺者は3人に リアリティ番組が過激化したイギリスでの顛末(文春オンライン) - Yahoo!ニュース

    5月23日、人気番組『テラスハウス』に出演していた女子プロレスラー、木村花さんが亡くなった。生前はバッシング被害に悩まされていたと伝えられている。 【画像】イギリスの番組で亡くなったキャストたち 2019年3月時点でリアリティ番組の自殺者数は38人 視聴者参加型番組とバッシングにまつわる議論は、数年前から海外で活発になっていた。 英紙Metro によると、2019年3月時点で同様の番組キャストの自殺者数は38人にのぼる。中でも痛ましいとされるケースは、インドのダンス・コンテスト番組に出場した11歳の少女ネハ・サマントの遺体が首を吊った状態で発見された事件であった。 国家機関が介入したケースもある。国民的人気番組から相次いで自殺者が出たイギリスでは、テリーザ・メイ、ボリス・ジョンソンがともに首相として対応を約束。2019年5月には、リアリティ番組制作陣に対してプロセスの透明化や出演者へのアフ

    性行為30回で億万長者に、自殺者は3人に リアリティ番組が過激化したイギリスでの顛末(文春オンライン) - Yahoo!ニュース
    POGE
    POGE 2020/06/05
    制作側と視聴者の共犯関係で人を死に追いやったのか……。
  • 「文化の変容」と「生物の進化」は、ほぼ同じスピードで起きている:研究結果

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    POGE 2020/06/05
  • 流行りだとか話題のためにアニメを観ること~コミュニケーション基盤としてのオタクコンテンツと進研ゼミ - 太陽がまぶしかったから

    photo by ddkkpp アニメを観るのは共通言語のため アニメは誰かと話す時の共通言語として楽だから観ているだけであって、そういうモチベーションがなくなると全然観なくなるから自分はオタクではないのだと想う事が多い。 Twitter @bulldra コンテンツが共通言語として機能している、という現象は90年代以前のオタクにもありがちだったけれど、コンテンツ消費そのものが目的ではなく、コンテンツがコミュニケーション手段として第一に要請されるところまで来たオタクというのは昔は見たことがあまり無かった。— p_shirokuma(熊代亨) (@twit_shirokuma) 2013年8月21日 してみれば、オタクやマニアというからには、コンテンツをコミュニケーション手段として第一に要請するのではなく、しばしば、コミュニケーションを度外視して自分の好きなコンテンツを選び愛することがなけれ

    流行りだとか話題のためにアニメを観ること~コミュニケーション基盤としてのオタクコンテンツと進研ゼミ - 太陽がまぶしかったから
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    POGE 2020/06/05
    私は内的引きこもり体質なので、一人で楽しめるものを好むが、コミュニケーションのためにコンテンツを消費するのも悪くないと思う。現在ではコンテンツが細分化し、それをつまみ食いする程度でも話を合わせられるし
  • デザイナー佐藤オオキ氏の思考法「幕の内弁当は最悪」の意味とは? | WEBザテレビジョン

    2月16日放送の「アナザースカイ」(日テレビ系)に、デザイナーの佐藤オオキ氏がゲスト出演。仕事に対する独自の取り組み方を明かした。 同番組のスタジオセットも出掛けている佐藤氏は、2002年にデザインオフィス「nendo」を設立してキャリアをスタート。デザイン界で最も権威ある賞ともいわれる「ELLE DECO International Design Awards」で「Designer of the Year」を2012年に受賞するなど、世界的な注目を集めている。 ルイ・ヴィトンやエルメスなどのハイブランドでもデザイナーに選任され、現在は約400件のプロジェクトを同時進行で手掛けているとか。 好調や不調の波に左右されることなく一定のクオリティーの作品を生み出したいと考える佐藤氏は、「極力、変化を求めない」「できるだけフラットな人生を送りたい」と話す。

    デザイナー佐藤オオキ氏の思考法「幕の内弁当は最悪」の意味とは? | WEBザテレビジョン
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    POGE 2020/06/05
    フラットな生活はコストもあまりかからないとは思うが、それだけを追求すると、「ただ生きるだけ」になってしまうことを彼女はわかっているのだろうか。社会のリソースに還元されることを厭わないならそれでいいが。
  • 日本社会では成果よりも「みんなと一緒に」という美徳が信頼の源泉になっている。

    たとえば体育の授業で、ゴールネットとか重いものを運ぶときにみんなで運ぶんだけど人が多すぎて手を添えて持ってるフリするみたいなことがあると思うんだけど社会に出るとあのときみたいな気分が蘇る場面がある。 — 方便 (@ryohoben) June 30, 2016 日人あるあるの一つ、「みんな一緒に重いものを運んでいる時には、実際には不要でも、手を添えて持っているフリをしなければならない」。 今から現場に加わっても負担が減らせるわけでも、効率が良くなるわけでもないのに、それでも現場に加わって”やっている感”を出さなければならない場面は、学校でも職場でも珍しいものではない。 あるいは、職場や現場で自分の仕事が先に終わった時にも、堂々と昼寝をしていたりソリティアをしていたりしたら色々まずい……と感じる場面もあるはずだ。 そういうシチュエーションでは、当は手持無沙汰でも、仕事をやっているような体

    日本社会では成果よりも「みんなと一緒に」という美徳が信頼の源泉になっている。
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    POGE 2020/06/05
    この「やっている感」が耐え難くてシラケてしまう人は、会社勤めは向いていないように思う。私はシラケてしまう人間なので毎日なかなか厳しい。