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ブックマーク / note.com/onoholiday (2)

  • 子どもを発生させることは善行ではない:トートロジー型出生賛美主義批判|小野ほりでい

    ある思想への批判や擁護がその思想自体ではなく「名前から想起される内容」をめぐって繰り広げられることは珍しくないが、反出生主義ほど「なんとなく生を否定するもの」として暴力的に利用されたり反対に糾弾される機会の多いものはないだろう。なかでもそのピントのずれた反出生主義批判の代表例として挙げられるのは「生を冒涜しておきながら生きているのは矛盾だ」とか「なぜ自殺しないのか」といったものである。 言うまでもなく、「反出生」とは生きることではなく生命を発生させること(つまり子供を産むこと)の是非についての主張であり、この是非をそのまま「生きることそのもの」に対して反映させることはできない。なぜなら、子どもは「生とはかくかくしかじかのものである」との十分な説明を受け、納得のうえで自発的に生まれるのではなく、他人の都合で勝手に生を授かるからである。 しかし、ここにある混同はむしろ注目に値する。つまり、「生

    子どもを発生させることは善行ではない:トートロジー型出生賛美主義批判|小野ほりでい
    POGE
    POGE 2021/04/16
  • 非モテは不幸だという呪い|小野ほりでい

    人間ははじめ無能の役立たずとして産声をあげ、そして遅かれ早かれ無能の役立たずになって死んでいくものである。人間の質を有用さと無能さのどちらに置くかで迷ったら、まず後者と考えて間違いないだろう。したがって、私たち人間は大なり小なり自分の無能さを受け容れなければ立ち行かなくなる時がやってくる―――無能な自分に対する否定的感情は、自分自身に対してか、それを転嫁された他人に対する攻撃として結末するだろう。相模原障害者施設殺傷事件などはその結末の一例である。 無能で役立たずな自分に対する愛情を私は自己肯定感と呼んでいる。しかし、無能で役立たずな人間に対する愛情のまなざしを示すもっと普遍的な名前がある。人権である。人権は、どのような人にも変わらない条件で一様に存在している。私が人権を、ほかの何を差し置いても最も偉大な発明だと感じざるを得ないのは、それが存在するという主張なしには存在し得なかったものだ

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    POGE 2020/10/02
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