私は「少子化の原因は女性の社会進出」というのは一つの理由としては正しいと思うし、 だからこそ「女性の社会進出を進めて少子化を促進すべき」だと思っています。 (賃労働のみを『社会』と呼ぶ事に対する違和感はともかく)
幼い頃に母を亡くして、父子家庭で育ってきた。 父と、7つ上の兄と、3人で暮らしてきた。 父はよく稼ぐ人だったから、金銭的に不自由することはなかった。 兄はとても優秀で、なおかつ面倒見が良くて、いつも優しくしてくれた。 近所の人たちも事情を知ってくれて、すごくお世話になった。 私と兄は、母親がいないという点を除いては不自由も無く、たぶん、健全に育った。 兄は大学で上京して私と父は2人暮らしになった。 その後、私は中学受験をして中高一貫の女子校に入った。 兄は大学生になっても優しくて、帰省する度に私の宿題を手伝ってくれた。 高校生になり、進路を考えるようになって、ずっと兄の背中を見てきたものだから、同じ大学に行きたいと思うようになった。 私は出来が悪くて、兄ほど優秀ではなかったから、一所懸命勉強した。 成績も上がって、胸を張って志望大学を言えるようになった。 ある日、進路を父に相談したところ、
5歳男子。親の言うことを聞かない真っ盛りな長男。 仕事から疲れて家に帰ると、大抵の場合は嫁と喧嘩をしています。 いつもなら「ママのいうことを聞きなさい!」と叱りつけて、それでも収まらない時は尻を叩くなどの軽い体罰を加えていました。 最近ではそれでも収まらずこちら側からの体罰も強くなりつつあり、このままでは良くないなと思い始めていました。 体罰というと言葉が過激かもしれませんが、あまりのストレスに本当に体罰へとエスカレートしてしまいそうな危機感があったのも事実です。 そこで一緒にお風呂に入っている時に話を聞いてみると、どうやら自分はヒーローであり、ヒーローは強くてかっこいいから他人の命令では動かないという信条のもとに生活していることがわかりました。 ”自分はヒーローだから正しい。だから、自分を間違っていると言ってくる親は敵である。” 長男の反発が少しずつ暴力的になってきている背景にはこんな考
日本って世界的に見ても異常に安全すぎて、感覚が麻痺してると思う。 日本よりも先進国である欧米だって、夜に女性が1人で歩いてたら高い確率で襲われるだろうし、男だってなるべく1人で歩かない。 自分は格闘技のインストラクターをしてたぐらいだけど、それでも2、3人相手にはどうなるかわからないし、そもそも武器を持たれたら1人でもどうしようもない。ずぶの素人が丸腰で行って自己責任もクソもない。 まして、中南米、東南アジア、インド、中東、東ヨーロッパ、アフリカなどの途上国は常に気を張ってないといけない。まあ中東地域は行ったことないからわからないけど。アフリカのど田舎は逆に安全な印象だった。都市部は最悪。インドは観光地はせいぜい詐欺と窃盗ぐらいだが、田舎町に行くと何されるかわかったもんじゃない。 東南アジアは全体的に意外と安心だけど、男も女も馬鹿になって夜の街に繰り出す。東ヨーロッパは都心部の方が怖い。ヤ
なんか思春期を迎えても娘と一緒に入りたがるのはキモい、異性として見てるとか言う人が多いけど、全然的外れです。父親は娘が二次性徴を迎えるぐらいから、自分から離れていくことを知っています。なぜか?それはお互いが異性であることを敏感に感じ取るからです。だから、異性と一緒にお風呂に入りたがらなくなる。それは、異性と一緒に入って恥ずかしいというより、父に異性を見たくない見られたくないからです。父親としては、娘の成長は喜ばしいことです。私は一緒にお風呂に入ろう?と誘ったことは初潮がきた小6以降はありません。我慢して娘の方から離れていくのを待っていました。うちの娘は発育は普通だったけど、少し精神的に幼かったんだと思います。母に「もう中学生なんだから一人で入ったら?」と言われても「えー別にいいじゃん」という感じでした。嫁は私には何も言ってこなかったので、自発性を促してたんだと思います。無理やり離すより自然
深津貴之 氏の見解が多くのブクマを集めている。 http://bylines.news.yahoo.co.jp/takayukifukatsu/20150907-00049112/ http://b.hatena.ne.jp/entry/bylines.news.yahoo.co.jp/takayukifukatsu/20150907-00049112/ 実はこれは、「劇場のロゴのパクリではない」と言っているだけだ。上手にていねいに解説しているが、話の趣旨そのものは組織委の見解と同じだ。その点は、増田が指摘したとおり。 似ているとか似ていないとか最初に言い出したのは誰なのかしら しかしながら、組織委の見解はピントがずれているし、その意味では、深津貴之 氏の見解もピントがずれている。そのことを解説しよう。 1.劇場ロゴのパクリは争点ではない 劇場ロゴのパクリはもともと争点となっていない。これ
電車通学をしている高校2年生女子だけど、通勤時間によく同じ電車に乗り合わせるサラリーマンから手紙をもらった。 (今日は2学期の始業式だったけど、そもそも夏休み中も部活が午前にあるときはよく同じ電車に乗り合わせていた。) やや長身、やや細身、手紙によれば現在28歳とのこと。 容貌はそこそこ整っていて中性的。サラリーマン独特のくたびれた感じはあれど不潔感はない。 現在私に恋人はいない。 (恋人がいたのは中学時代の一時期だけで、それからは小さな片思いをいくつかしただけ。現在は精神的にも体裁上も完全なフリーだ。) 正直付き合うかどうか迷っている。 私は文学部(国文学科)志望で、そこいらのJKよりはたくさんの本を読んできたと自負しているけど、 そのサラリーマンからの手紙は教養を感じさせ、何より誠実な文章だった。 私と会話したことはないから私がどういう人間か詳しくは分からないことを認めたうえで、それで
私は、仕事が大好きだ。大変なこともあって嫌いな人も多少はいるけど、達成感や日々何かをやらないといけない義務感は、とても心地がいい。食べるものに困るほど貧乏じゃないこと、他人から独立できる喜びもいい。 そんな私は最近プロポースされた。相手は私より5つ年上で、とても愛情深く優しい人だ。あれほど懐の広い人はいないし、私は彼のことを非常に尊敬している。 彼は山奥の工場で開発をやっていて、私は都会の出張所で彼の作る製品を売っている。新幹線で2時間かかる距離が私たちの間に横たわっている。月一回会うか会わないかの遠距離恋愛はとてもしっくりきていたけれど、私は結婚しよう、と答えた。もう20代後半だし、この人しかもう、愛せないと思ったし、結婚してもいいころかな、と思った。 でも、そしたら私が辞めないといけないわけで、でも、私は仕事が大好きなわけで。彼は一緒に住みたいからプロポーズしたわけだし、一緒に住まない
婚活してると、たまに「なんでこの人私にアプローチしてきた?」みたいな人がいる。 高卒デブが、国立大卒・5歳年下・まともな体型の女の子に相手してもらえると思う理由がわからない。しかも年収同じ。高卒で5歳年上ってことは、私より9年長く働いてるんだよね?それでその収入? 仮に収入同じくらいでも、大卒同い年だったら気にしないよ?働いてる年数が同じなんだから、収入が大差ないのは当たり前。仮に5歳年上でも、大卒で私の年収+50万くらいあるんだったら気にしないよ?仕事続けるつもりでいるから、配偶者がそのくらい稼いでくれれば充分やっていけるし。 旧帝卒だの年収800万だの言う気はない。自分にそこまでの市場価値はないってわかってるから。私が探しているのは、同程度の四年制大学を卒業していて、同程度の収入があり、同程度に健康管理のできる男性です。 頼むから、身の程を知ってください。
http://anond.hatelabo.jp/20150722190931 私としては、これワガママに見えない。むしろかなり親切に見える。 あくまで私個人の話で他の男性からは違うと言われるかもしれないが、ワガママ、の認識が男女で逆なんじゃないか? 男の私からして女性が一番ワガママに見えるのは「口でちゃんと言わないのに私の気持ややってほしいことを察してくれないことが不満」っていう態度を取られたときだ。女性である妻がそういうの得意なのはわかる。だが、男であるこっち側はそういうの苦手なのだ。そういうテレパシーみたいなことを言われても困る。 しかも、そういうことが当たり前だと思っているから、こっちがいろいろ考えて行動してもあんまりお礼を言わないことが多い。これも個人差はあるのだろうが、私はなにかやってもらった時はお礼をいうのが習慣になっていたから最初は戸惑った。礼でなくてもいいから、何かしら反
なぜみんな生きていられるのだろう。 自分はいつも「あの人より劣っている」「あの人に負けた」「あの人より価値がない」ということばかり考えてしまう。 だから落ち込まないように、努力して「あの人より自分の方が優れている」「あの人に勝った」という状況を作って 「自分はあの人より価値がある。だから生きていていいんだ。」と思うようにしている。 でも、この世には数え切れないほど人がいて、自分より優れた人だらけなのだ。 それはもちろん分かっている。でも、認めたらもう自分は生きていけない。 あの人より劣っている自分には価値がない。 あの人より劣っている自分が誰かに愛されるわけがない。 あの人より劣っている自分が、誰かを愛していいわけがない。 あの人より劣っている自分は目立っちゃいけない。 そんなことばかり考えているから、毎日毎日泣きたくなる。 でも、生きるために努力して、少なくとも周囲の人よりは優れた価値の
大阪に行く度羨ましく思う。地下鉄網が必要な場所にしっかり整備されているからだ。 中之島辺りはまだ改良の余地があるし今里筋線は無駄だったかもしれないが、なにわ筋線という「本当に必要とされる線路」を具体化できるあたり京都とは違う。 京都市会議員ときたら「東西線の乗客が少ないから太秦天神川から洛西NT~長岡京と延伸し、六地蔵からも延伸して環状化しよう」などと宣うような連中である。 アホだと思いますか?そうアホなんです! 本当に必要なのは西大路・北大路・東大路・京都駅を繋ぐ地下鉄環状線なのに。 京都駅から出て東大路通を上り清水寺や祇園を通る206系統には朝っぱらから外国人観光客が並んでいる。積み残しなど日常茶飯事。 金閣寺・立命館大学方面の205系統も混雑が酷い。西大路通には阪急西院駅、地下鉄西大路御池駅、JR円町駅などがありそこから通学者や観光客が雪崩れ込んでくる。 にもかかわらず交通局は対策を
自分は障害者として生まれてきた。自分を産んだ時、自分の親は、まだ次の子を作れる年齢だった。 自分はほっとけば数歳で死んだのに、親は自分に手術を受けさせ、助けた。手術がよほど大変だったのか、親は次の子を作らなかった。 自分の障害は遺伝性ではない。親が手術を受けさせずに自分が死んでいれば、親は次の子を作ったはずで、その子は健常者だったはずだ。 社会全体で考えれば、自分が生まれてきたために、社会は健常者を一人失い、障害者が一人増えた事になる。 社会に迷惑をかけるべきではない、というのは、小学校で教わる道徳の基本だ。自分は生まれてきた事によって、健常者を一人奪い、障害者を一人増やし、社会に損害を与えた。社会に迷惑をかけた。自分は、生まれてきた事自体が罪だった。罪を一生かけて償わなければならない。 障害者は生まれてくるべきではない。 補足2: 「すごいデタラメな論理で清々しい程に突っ込みどころしか無
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