古来そして現在でも、イタリア建築の中のヴィラは緑豊かな自然風景を長閑な人間的風景に変える空間装置です。特に、ヴェネトやトスカーナを旅するとき、田園風景はヴィラが垣間見えることによって一気に好ましさが強調され、忘れがたい景観となって記憶される。 ローマの時代から郊外所有地に建つ住居がヴィラだが、ルネサンス期には都市のなかのパラッツォ(宮殿あるいは邸館、公的な空間)に対するヴィラ、つまり、ヴィラは田園の中の私的な空間を意味する、と同時にその役割とデザイン方法の違いは明確に意識づけられていた。特にパラーディオのヴィラは現在でいう、リゾートハウスとはかなり異なる役割をもっていた。 ヴィラは都市中のパラッツォとは異なり、私的であり人に安らぎをもたらすものだが、産業や農業などにより資産を増やすための建築、とパラーディオは書いている。つまり、ヴィラは農業経営の為の拠点、特に海の権益を奪われつつあったヴェ
そっけない狭い階段を降りて地下の映写室へ。 まさに、映画マニアのアジトのような趣だが、客席のイスはゆったり、そして柔らかい。 大きすぎないスペースは暗闇の中の映像と親しむにはぴったりだ。(渋谷、シアター・イメージフォーラム) この初めての劇場で見た映画は「倫敦から来た男」。 その印象もまたこの劇場にピッタリ。 息の長いクローズアップによる心理描写。霧笛、靴音、波音、教会の鐘の音を鮮明に響かせ、モノクロの映像とシンクロし、サスペンスは光と影の中を進行していく。 映画の原作者はかってよく読んだ「メグレ警部」の原作者ジョルジョ・シムノン。 今日は久しぶり、彼の小説世界を映画で味わえると思い楽しみにしやってきた。 そして、100%満足した。映画はまさしく、あのシムノンの物語世界そのもの。 監督はハンガリーの鬼才タラ・ベーラとある。 ニューヨークのMOMAやパリのルーブル美術館で上映される芸術監督。
新聞を良く読むようになったのは、ツィッターだけが理由ではない。 新聞が気になると言うことは、最近、結構、ヤバいんじゃないと思うことしきり、が理由かもしれない。 今日の朝刊も、時間がいくらあっても足りないくらい釘付けにされた。 取りあえず、経済記事のみにポイントを絞ろう。 まず、目につくのは「新規国債発行55兆円超」、そして、社説では国債「格下げ」だ。 多大な国の借金は長期自民党政権のツケかもしれないが、新政権のもたもたは、本来1月に提出すべき財政再建案にも引き継がれている。 この分では普天間問題と同じく5月か6月まで持ち越されるらしい。 そして、その頃は選挙前、増税含みの再建案を大見得きって出せるわけがない、結局、うやむやのうちに先送り、借金まみれの運営をこの政権も引き継ぎざるを得ないのだろうか。 昨日、アメリカの格付け会社に「格下げ」されたニュースはその内容も状況も非常に厳しい。 これで
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