このことは、いわゆる虚時間が本当は実時間で、われわれが実時間と呼んでいるものは、われわれの想像が構成したものにすぎないことを示唆しているのかもしれない。 実時間では、宇宙は時空の境界をなす特異点にはじまりと終わりを持っており、そこでは科学法則は破れる。だが虚時間では特異点あるいは境界はない。だとすると、虚時間と呼ばれるのが本当はより基本的なもので、実時間と呼ばれているものは、われわれが考えている宇宙像を記述する便宜上、考案された観念にすぎないのかもしれない。 しかし、私が第一章で述べた見方にしたがえば、科学理論とはもともと、われわれが観測を記述するためにつくった数学的モデルに他ならず、われわれの精神の中にしか存在しないのである。だから、どれが実は“実時間”であり、“虚時間”であるのかとたずねるのは無意味だ。どちらがより有用な記述であるかというだけのことである。 スティーブン・ホーキング、『