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ブックマーク / musai.blog.ocn.ne.jp (2)

  • 哲学はなぜ間違うのか?: 外面だけで内面は分かる

    人間というものはハンドバッグのようなものです。外面と内面がある。外面は見えるが、内面は見えない。外面はだれにでも見えるが、内面は人しか見ることはできない。もしかしたら外面は美しいが内面はみられたものではない、かもしれない。ふつうは外面だけしか見えないから、内面がどうなっているのか、外面を見ながら推し量るしかない。私たちは、自分を含めた人間というものを、こう思っています。 人間は、外面の内側に外からは見えない内面を持っている、という理論。それと気づかないで私たちが毎日使っているこの理論は、人間の行動を予測し、計画を考える上で役に立ちます。また、この理論を自分自身に適用することもできる。これはとても役立つ。社会に生きるためには、不可欠の能力です。つまり、自分も自分以外の人間も、同じように外面の裏に内面を持っている、と思えば、他人の行動も自分の行動もよく予測できる。顔は笑っているけれども、心は

    REV
    REV 2009/01/13
    人間は、議会制民主主義国家みたいなもので、首相の演説を聞いたり、与党の重鎮に話を聞いても、それだけじゃないからな。
  • 哲学はなぜ間違うのか?: 不自然科学

    現代科学は、精緻に設計製造された高価な実験装置や観測装置を使いこなし、数学とコンピュータを駆使したデータ処理を行わなければできない。このように自然でない装置や操作に頼って行わなければならない仕事であるからには、(拙稿の見解では)自然科学という名称はあらためて、不自然科学と呼ぶべきです。では、人文社会科学は? それらの学問は、たしかに人間的で文化的ですが、まさに言語を使いこなし擬人化システムを使いこなして理論を分化させる仕事ですから、擬人分化学と呼ぶべきでしょう。 不自然科学vs.擬人分化学。哲学はどちらかに入るのか、どちらにも入らないのか。不自然で良いのか? 擬人で良いのか? 拙稿は、それが哲学の大問題だ、と言いたいわけです。 拝読ブログ:記号が魔術になる 拝読ブログ:疑似科学入門

    REV
    REV 2008/08/25
    たいていの機械もコンピューターも、自然にあった電子とか陽子からできている/化学肥料でつくった作物、遺伝子組み換えトウモロコシ食って育った不自然な作物を喰って生きている哲学者の脳は、びっくりするほど自然
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