「当時の私は鉄小学校に在学中で運動会の最中に火を噴く機体を見上げていた者の中の一人です。まだ低学年だった事もありお子さんの名前や怪我をした方の人数など記憶が曖昧だったのですが、林さん母子の他にもあんなに大勢の方が被害を受けていた事、こちらを拝見して初めて知りました。お子さん達の最期の言葉『パパ・ママ、バイバイ』や『ポッポッポ』は幼かったながらも未だ脳裏に焼きついています。それに 私の父があのお母さんと同時期・同じ病院に入院していた為、お母さんが薬浴治療で本当に苦しまれていた様子も聞いていました。あの体験は私にとってもある種トラウマになっています。黒煙と炎を噴出しながら自分達の頭上を超低空で飛んで行った戦闘機、パラシュートで脱出した兵士がフワフワと田んぼに落ちてゆく光景、そして轟音とともに山の向こうから立ち昇った大きくて真っ黒なキノコ雲…。あの光景はきっと一生忘れる事が出来ないでしょう。」