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ブックマーク / asph29.hatenablog.com (2)

  • 自分の知らない絶対的なルールがあるという無力感について。 - 精神科医的ひとりごと(仮)

    先生が多数派で、生徒がASDの場合、そのASDの生徒はしんどい目にあいそうです。論理が苦手で、感情豊かな先生であればなおのことでしょう。以下、わたしの過去からの分析です。 ◆ 多数派の先生としては、立場が上である先生が喜ぶから、あるいは、先生が怒ったり悲しんだりするから、生徒はルールなどを学習するのだと信じています。自分自身がそうやって学んできたからです。自分自身がそうやってルールなどを学び、よい生徒として学生時代を過ごし、大学まで進んで教師になったわけですから、先生としてはこの指導法に自信を持っています。 というわけでその、自信を持っている指導法で、生徒を指導します。たとえば廊下を走ってはいけません、としましょうか。廊下を走ってはいけません、と怒るわけです。 ◆ そのいっぽうで、ASDの人は、その指示に筋が通っている、合理的である、ということで指示に従います。学習もします。 ◆ 多数派の

    自分の知らない絶対的なルールがあるという無力感について。 - 精神科医的ひとりごと(仮)
    REV
    REV 2022/02/11
    「守るべきルールと、守らなくてもいいルールがある」「ルールを守るべき時と、守らなくてもいい時がある」こういうのに弱い。
  • コミュニケーション能力とASD。 - 精神科医的ひとりごと(仮)

    HGウェルズに「盲人国」という小説があります。その国の人は、全員目が見えません。そこに、目が見える人が迷い込みます。目が見える側が有利かというと、ぜんぜんそんなことはない。何をするにしても助けが必要です。 ◆ ものすごく高性能でかっこいい義足が普及して、自分の足で歩いている人が「障害者」扱いになる未来とか、空想したりします。 ◆ コミュニケーション能力が重視される世の中であるといいます。それで苦労しているASDの人も多いです。 しかしよく考えると、その「コミュニケーション能力」は、「定型発達の人の間のコミュニケーション能力」ではないでしょうか。もしも「人類全てに対するコミュニケーション能力」であれば、ASDの人が苦労するはずはありません。 ということは、この「コミュニケーション能力」は、絶対のものではない。人類普遍の価値は持たないわけです。 ◆ もしもASDが多数派の社会であれば、ASD

    コミュニケーション能力とASD。 - 精神科医的ひとりごと(仮)
    REV
    REV 2022/01/20
    エクセルもNC旋盤もない時代では、黙々と計算したり黙々と部品を加工したりするのも一つの才能であったが21世紀には… という印象はある。
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