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ブックマーク / kiwofusi.hatenablog.com (2)

  • 自己実現は言葉を越える - 反言子

    なぜ、オタクでないことに=オタクであると胸を張れるほどの「教養」がないことに、後ろめたさを感じるのだろうか。オタクという名札は単純なアイデンティファイ*1として便利である。かつ、ふつう自己実現において避けがたい生々しい苦痛が伴わないため、ある種のひとたちはオタクを志向する。僕もそのひとりである。 趣味の多様化が著しいこんにち、オタクの定義はますますあいまいになっている。僕なりのとらえ方としては、「――ならなんでも」という「選択と集中」による絶妙な「広さ」と「狭さ」の両立こそがオタクの実現であると考えている。僕はこの「――ならなんでも」という指向性、言い換えれば「ジャンル差別」*2という感性が欠けていて、「狭さ」の伴わない「広さ」つまり「浅さ」に嗜好がとどまってしまう。 ところで、「――ならなんでも」というのは言葉の綾が強くて、「物語ならなんでも」「いいものならなんでも」と埋めると逆に「ジャ

    自己実現は言葉を越える - 反言子
    REV
    REV 2007/07/01
  • 典型的にメタなサイト論ですが(笑) - 反言子

    サイト論というからには、こまごまとした事例や感想よりも、論理的にまとまりがあり対象の明らかな主張のほうがよい、と思われるかもしれない。なぜなら、と考えてみるに、そちらのほうが「一般的」であるぶん、批判としてより広い範囲に効果を与えるからだ、というふうだろうか。抽象によって批判に磨きをかけようというのだ。また視点を替えてみれば、教育は僕たちに「批判に抽象をこころみて読解する能力」を養わせる。言説はシャープでスマートな感じがよい、という印象はだれもがもっていよう。 実際の話、サイト論というのは同じ話題が同じ主張により同じ展開で繰り返されている。理由は、述べる当人にとってはおもしろいからだ。応える当人にとっても。一部の物好きなひとたちにとっても。これはとても幸せなことだと僕は思う。だから大いに結構だ。僕だって、その一部の物好きなひとたちに含まれるんだから(笑) ただ、いいかげん飽きてこよう。そん

    典型的にメタなサイト論ですが(笑) - 反言子
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    REV 2006/06/21
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