悶々としている。 自己反省の日々である。 東須磨小の一連の報道をみて、自分に湧いた感情は、憤りと排除の思想である。 立場は違えど、同じ子どもに関わる専門職として、あってはならないことが起きた事実への憤りと、加害教員への「排除の思想」である。 普段、自分はいわゆる非行少年たちの支援をしている。 万引き、暴行、傷害、窃盗、強制わいせつ…様々な「非行」をする児童の支援をしてきた。 そこには、いわゆる世間が想像するような「非行少年」の様相とは違うものが見える。 少年少女たちの、加害性、衝動性、非行性などの単一的な要因だけでは説明はつかず、そこには、少年少女たちのかつての被害体験、機能不全家族、虐待的環境、学校での不全感…様々な要因が横たわっている。 (念のため、被害体験があるからといって加害行為が正当化されるわけでも、社会的責任を問われないということではない) 加害行為は、加害者の要因だけではなく