何をどう書いても「弱い者たちが夕暮れ、更に弱い者を叩く」になりそうで、なかなか言葉にしにくい事件だった。 僕はあの事件の加害者、彼らの中にも被害者である部分があるのを感じている。だからと言って罪に問うべきではないとか、社会のせいだと言いたいのではない。でも、加害者の少年が、混血児としてこの日本社会の中で生きていくうえで、周囲の環境がどうも理性的に道を示せるような状況ではなく、肩肘を張って生きていかなければならないだとしたら、ああいう解になってしまうのもなくはないのではないかと感じている。 被害者の少年も、事前にああまで殴られていて、それでいて周囲が何も気づかない、何の手助けもしないというのも普通ならば考えにくい。考えにくいから林真理子は被害者の母親を責めるような文章を書いたのだろう。だが、普通が普通として手に入れられないからこそ、それを過酷と呼ぶのであって、その過酷さが川崎にあった、もっと