父島|kyupinの日記より。 もしお祖父ちゃんがその時、死んでいたら、僕は生まれていなかったね? と母親に言った。(…)その時の、母親の答えだが、あっさりしたもので、 大丈夫、うちに生まれなくても他の家に生まれているから。 と言った。全く、明快な答えだと思う。 素晴らしい洞察だ。 「どうして産んだんだ」という子どもがいる。 とてつもなく「不謹慎」で「親不孝」なセリフで、「古き良き家庭」であれば、母親は泣き崩れ、父親が殴りつけるのだろう。子どもの方も、大抵は成長とともにそんな問いは発しなくなる。一つには問うだけ無駄、問うとかえって損、ということを学習するからで、もう一つには「そんな問いを発しない」倫理の内面化に成功した、ということだろう1。 しかし、この問い自体には、それが幼児的であるが故の普遍性があって、確かに生まれさえしなければ生老病死すべての苦しみは元から断たれる。苦しみを感じる主体