「未来はわれらのものだ」と言いながら死んでいったサン=シモン、「未来を構築しなければならない」と言いながら自殺していったマーク・フィッシャー、そして「未来はここで終わる」と言ったリー・エーデルマン――。ルイス・キャロルは暗室の中で少女たちの写真を現像し、カール・マルクスは大英図書館で来るべき革命のための書を執筆する。これは、未来と子どもたち、近代と脱近代、革命と反動、19世紀と20世紀、ユートピアとディストピア、メランコリーとノスタルジー、テクノロジーとオカルティズム、そして失われた未来に捧げるエッセイである。 マーク・フィッシャーは『資本主義リアリズム』の中で、マルクス経済学者のクリスティアン・マラッツィの議論を引きながら、フォーディズムからポスト・フォーディズムへの変遷には具体的な日付を与えることができる、と述べている。その日付とは、1979年10月6日、すなわち連邦準備制度が金利を2
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