2016年5月1日のブックマーク (4件)

  • ラストツアーの地はジャパン「はじめての追っかけ」お姉ちゃん篇

    1982年、ジャパンは解散&ラストツアーを発表した。日びいきのバンドらしく、ラストツアーはなんと日。1963年生まれの私の姉は、ジャパンを思う気持ちが高まりすぎて、ラストツアーを追っかけるため、就職したばかりの会社をとっとと辞めた。両親はえらく怒ったが、そんなことはまったく意に介さず、あのときの姉はほんとうに楽しそうだった。 「彼らの警護は東京パトロールの伊丹さんっていうヒゲのおじさんでね、いつもこわいんだけど、たまに私たちにも優しいんだよ」 「デヴィッド・シルヴィアンの彼女は、ユカっていう日人なの。前はミックの彼女でね、この人がジャパン解散の原因じゃないかって言われてる」 なんて裏話を、姉は私にしてくれたので、私もジャパンの素顔を知ったような気になったものだ。 たしかジャパンのラストライブは名古屋。「アンコール最後に何体もの着ぐるみが登場し、メンバー4人楽しそうで、すごくハッピーな

    ラストツアーの地はジャパン「はじめての追っかけ」お姉ちゃん篇
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    Reminder 2016/05/01
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  • ストラングラーズ、夜獣の館に漂うは初めて嗅ぐ本場のパンクロックの匂い

    僕が初めて見た海外アーティストのライブはストラングラーズだった。ストラングラーズはピストルズやクラッシュなどパンクムーブメントの一角のバンドと言われているが、僕の中では彼らは他のパンクバンドとは一線を画していた。その理由は見た目からくる凄み、おっさん度が高いのだ。やんちゃなパンクバンドではなく、気で怒ってる怒りジジイ感が強烈で、とにかく怖い。 初来日時の公演で「サムシング・ベター・チェンジ」を3回連続で演奏したという逸話がある。3回目の演奏が終わってベースのJJバーネルが「お前ら何でヘラヘラ笑ってるんだ!」と激怒したらしいのだが、観客はその言葉もわからずに盛り上がっていたとか。彼らの怒りは観客にも向かってくると聞いて、これは心して聞かなければいけないと思ったものだ。 僕が見に行ったライブは1979年12月、この年2回目の来日公演で会場はなんと後楽園球場。と言っても、この頃は野球がシーズン

    ストラングラーズ、夜獣の館に漂うは初めて嗅ぐ本場のパンクロックの匂い
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    Reminder 2016/05/01
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  • ストーリービデオの大傑作!ケイト・ブッシュ迫真の演技にシビれる!

    「中島みゆき、スティーヴィー・ニックス、ケイト・ブッシュ、この3人を研究するとどんな女性とつき合っても怖くない。」と渋谷陽一氏が語っていたらしいですが(正確な文章は存じませんが)、確かに頷けます。 個人的に中島みゆきにそんなにはまったことはありませんが、スティーヴィー・ニックスとケイト・ブッシュには、かなり夢中になりました。スティーヴィー・ニックスに関してはまた近いうちに語りたいのですが、今回はケイト・ブッシュ。 リアルタイムでケイト・ブッシュの楽曲を聴いたのはアルバム「愛のかたち(Hounds Of Love)」でした。5枚目のアルバムでしたので、衝撃的デビュー~大ヒット~ちょっと人気が落ち着く、といったころの作品でしたが、大ヒット。見事な復帰作になりました。ファーストシングルの「神秘の丘(Running Up That Hill)」がまず耳にひっかかる曲。ちょっと前衛的なアートパフォー

    ストーリービデオの大傑作!ケイト・ブッシュ迫真の演技にシビれる!
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    Reminder 2016/05/01
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  • ベルリンの「愛は吐息のように」がキング・オブ・エイティーズたる理由

    ヨーロッパで流行りそうな音楽を志向したベルリン 1986年から1987年にかけ、この曲は街のあらゆるところで流れていた。1987年のお正月映画として日公開された青春恋愛アクション映画『トップガン』の挿入歌、ベルリンの「愛は吐息のように(Take My Breath Away)」である。大抵の人は一聴すれば「ああ、これかー」となるだろう。まさに「キング・オブ・エイティーズ」と言っても過言ではない。 さて、あまりにも大ヒットしたがために、ワン・ヒット・ワンダー(一発屋)の部類に入れられることも多いベルリンだが、これ以前もそこそこのスマッシュヒットは出していた。そもそもがアメリカ西海岸のエレクトロポップバンド(今で言うEDM)で、アメリカよりもヨーロッパで流行りそうな音楽を志向するエッジの効いたグループだった。1982年にリリースしたシングル「その時、私は…(Sex I'm A....)」なん

    ベルリンの「愛は吐息のように」がキング・オブ・エイティーズたる理由
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    Reminder 2016/05/01
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