2011年4月7日のブックマーク (4件)

  • 治療論その2 (改訂版)    直面化を促すのは、不可知的な「現実」である

    禁欲規則に関するテーマで重要なのが、では誰が患者やバイジーに、直面化を迫ったり、耳の痛い助言をするのか、ということだ。「あなたは~についての意識化を避けていますね。」というコメントや、「あなたのやったことはこういう点で問題だったね。」「ここはこうした方がよかったですね。」という直接的な助言はいかに伝えられるべきかという問題だ。いくらその言葉を飲み込んでも、いずれは伝えなくてはならない場合がある。そうでなければ治療者やスーパーバイザーとしての役目を果たしたことにはならないことにもなるだろう。 こんな例を考えてみよう。私がある患者Aさん(30歳代後半の男性、とでもしよう)と治療関係にある。彼は常にあるジレンマに悩んでいるとしよう。(ちなみにこれは創作である。私の現在のクライエントさんの誰も、自分のことを言っていると思われないような例にする。)Aさんはいつも自分の身の丈より一歩高い目標を持ち、そ

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    SCR 2011/04/07
  • 治療論 その1 (改訂版) 昨日の続き

    ちなみに「洞察や理解は別のところか訪れる」ということの意味について。私には罪悪感に関する持論があり、それは「罪悪感は、基的には『許され型』である」というものである。罪悪感に関して、精神分析では「処罰型」と「許され型」という分類の仕方をする。前者は悪いことをした時に罰せられることではじめて罪悪感が植えつけられるという考えで、後者は人に許されて初めて罪悪感が芽生えると考える。前者がフロイトのエディプス理論にたった罪悪感の生成のされ方、ということになるから、分析理論の中では常識の部類に入る。 しかしこの問題も当たり前に考えれば、後者が来の罪悪感の生成のされ方だということになる。だって悪いことをして、罰せられることで得られるのは、「こんなことをしたら、処罰されるんだ。」という学習であって、罪悪感そのものではない。(もちろん罰せられることで、自分がしたことが罪深いことであったという自覚が生まれる

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    SCR 2011/04/07
  • 講演録:災害時のこころのケアについて(1) - Gabbardの演習林

    前置き 先日、ある方から「被災地で支援活動する予定のある一般の方を対象にして、被災者へのこころのケアに関する講演をしてほしい」と依頼されました。なんで私が、と思ったのですが、いろいろな行きがかり上、引き受けざるを得なくなりました。「緊急企画」とのことで、依頼から講演当日まで5日しかなかったのですが、何とか無事に講演を終えることができました。 準備のときは必死になって何も考えずに作業を進めたのですが、終わった後になって、せっかくつくった原稿を、そのまま眠らせるのが惜しい気もしはじめました。そこで思い切ってこのブログに掲載することとしました。 掲載にあたっては、講演での読み上げ原稿にかなり手を入れています。内容については、既に発表されている各種学術団体のガイドラインや、災害精神医学の教科書を参照して、それらと齟齬のないように留意しましたが、ただ私の個人的な意見が含まれた内容ですので、あまり信頼

    講演録:災害時のこころのケアについて(1) - Gabbardの演習林
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    SCR 2011/04/07
  • エピソード - 時論公論

    ロシア寄りの姿勢を強めるアメリカトランプ政権とウクライナを全面的に支持するヨーロッパ各国の溝が深まっています。危機に立つ欧米関係と国際社会への影響を考えます。

    エピソード - 時論公論
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    SCR 2011/04/07