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治療論 その1 (改訂版) 昨日の続き
ちなみに「洞察や理解は別のところか訪れる」ということの意味について。私には罪悪感に関する持論があり... ちなみに「洞察や理解は別のところか訪れる」ということの意味について。私には罪悪感に関する持論があり、それは「罪悪感は、基本的には『許され型』である」というものである。罪悪感に関して、精神分析では「処罰型」と「許され型」という分類の仕方をする。前者は悪いことをした時に罰せられることではじめて罪悪感が植えつけられるという考えで、後者は人に許されて初めて罪悪感が芽生えると考える。前者がフロイトのエディプス理論にたった罪悪感の生成のされ方、ということになるから、分析理論の中では常識の部類に入る。 しかしこの問題も当たり前に考えれば、後者が本来の罪悪感の生成のされ方だということになる。だって悪いことをして、罰せられることで得られるのは、「こんなことをしたら、処罰されるんだ。」という学習であって、罪悪感そのものではない。(もちろん罰せられることで、自分がしたことが罪深いことであったという自覚が生まれる