統治が大変すぎて維持できなかった植民地の数々 現代では「植民地(Colony)」という言葉はネガティブな意味を持ちます。 主権の侵害・富の収奪・人権の軽視といったニュアンスを含んでおり、二度と大国が小国を植民地の地位に落とすことがないようにしなければならない、と教わります。 ですが、18世紀〜20世紀前半は「植民地」というと、「人生一発大逆転」の可能性がある夢と希望と一攫千金の地であると思われていました。 当然、大成功した植民地もあれば、大失敗に終わった植民地もありました。 今回は後者の、大失敗して遺棄されて歴史に埋もれた植民地の事例です。 1. ニュー・オーストラリア(オーストラリア移民のパラグアイ植民地) 酒と女の禁止が原因で崩壊した社会主義者のユートピア 19世紀後半、オーストラリアでは低賃金労働者によるストライキや労働紛争が当局によりことごとく鎮圧され、「労働者のためのオーストラリ