芸能・スポーツに関するSW-2のブックマーク (8)

  • 有吉弘行がグラビアアイドルを懐柔したチンピラ説教芸 - テレビの土踏まず

    鬼 7 月 1 日深夜に放送されたテレ東系「怒りオヤジ 3」のスペシャルは、今春いったんレギュラー放送が終了した番組が一時的に復活したものです。司会はおぎやはぎ矢作とカンニング竹山。虚実折り混ざったバラエティです。 この日の放送では有吉弘行とネプチューン堀内健と出川哲朗がちょっとワケあり気味な 3 人の女性に「説教」をしていました。その中でも有吉が新人グラビアアイドルに説教するくだりが特におもしろかったです。 以前、有吉は「人志松の○○な話」の「ゆるせない話」がテーマのときに、「『グラビアやりたい』なんて精神性のヤツらだから…」とグラビアアイドルの多くを露骨に嫌悪する見解を示していました。 今回の放送でも説教相手のグラビアアイドルをさんざんボロクソけなしてましたが、そのあとで態度を一変させるなど、すべて引っくるめたチンピラ説教芸みたいなものが笑えたので、以下に書き起こしていきます。 ちな

    有吉弘行がグラビアアイドルを懐柔したチンピラ説教芸 - テレビの土踏まず
    SW-2
    SW-2 2009/07/08
    すべて引っくるめたチンピラ説教芸みたいなものが笑えた。カンニング竹山のコメント「悪い目してんなー」
  • スポーツナビ | サッカー|Jリーグ|石川直宏、プロ10年目の覚醒(1/2)

    「石川直宏こそ、積み上げ以外の何ものでもないよね」 今年の冬、長澤徹FC東京U−15深川監督に、こう言われたことを覚えている。 長澤が見つめてきた選手は、10代からスターダムにのし上がるスタープレーヤーとは対極的な苦労人ばかりだ。加地亮(G大阪)、福田健二(イオニコス)、呉章銀(蔚山現代)、マルセロ・マトス(パナシナイコス)、宇留野純(熊)、古橋達弥(山形)……。石川も早くから年代別代表に名を連ねてはいたが、A代表選考レースからは早々に外れ、そればかりか、所属のFC東京でもベンチ外の危機を味わい続けてきた。 「10年続けなければプロとは言えない。続かなかったらアルバイトだ」 それは長澤の口癖であり、石川もさんざん聞かされてきたことだ。 その石川がプロデビュー10年目の今年、J1ゴールランキングの日人トップ(8ゴール=7月1日現在)に立ち、脚光を浴びている。これを積み上げの結果

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    SW-2 2009/07/03
    石川直宏こそ、積み上げ以外の何ものでもないよね。使われるだけでなく、他者を使うようになった。単独プレーにとどまっていたものが、連動するようになった。そういう変化が、今の石川のプレーにはある。
  • Perfume あ〜ちゃんの壮絶な苦悩と絶望の吐露、そして彼女は壊れてゆく@Rockin'on JAPAN 09年7月号 - Aerodynamik - 航空力学

    http://www.ro69.jp/publish/japan/index.html 当エントリは全て私の過剰な思い込みによる曲解です。 (「曲解」と書きましたが、語弊が生じていますので「極私的な解釈」と読み替えてください。) また、J-CASTのニュース記事、およびJ-CASTをソースにした各種ニュースサイトの配信は、「原典(Rockin'on JAPAN掲載のインタビュー)に基づかないものであること」、一ファンの曲解を取り上げたに過ぎないということ、西脇さんの意図する発言ではないことを十分認識願います。 既にニュースソースの元になり魚拓も取られています。いまさらこの記事を削除しても遅いでしょう。むしろ客観的なコメントもいただいておりますし、ニュース記事が、一ファンの曲解をソースにしたものであり、西脇さんの意図する発言でないことを確認してもらうためにも、今はあえて削除しません。企業のニ

    Perfume あ〜ちゃんの壮絶な苦悩と絶望の吐露、そして彼女は壊れてゆく@Rockin'on JAPAN 09年7月号 - Aerodynamik - 航空力学
    SW-2
    SW-2 2009/06/22
    「辛いときに辛いと考えないようにしている」と言ったのっちに対し、あ〜ちゃんはキレる。そういうの考えないようにしとるっていうのを出しすぎとる時、こっちがいらいらする
  • 【 追悼:三沢光晴の生き方 】:理想主義者/ 馬場イズムの継承。 - mimi-fuku通信

    三沢光晴さんが亡くなったのが昨日の今頃。 今日は3人の友人から連絡・問合せがあった。 著名人が亡くなって(報道された)その日のうちに、 3人も「どうなってるの?」と問合せされたのは過去に記憶がない。 私と同世代の三沢さんが如何に注目されている存在だったのか、 改めて再確認した思いだ。 私の手元に三沢さんが現した著書がある。 「理想主義者」(出版:ネコ・パブリック社) ~プロレスは常に進化しなければならない。 その著書から少しだけ抜粋。 【社長としての三沢光晴さんの言葉】 「私が考える当の強さとは、 試合に勝つことでも強力な技を持っていることでもない。 身体の強さや筋肉の質は、 持って生まれたものに大きく影響されるので限界があるが、 精神面は人次第でいくらでも強くすることができる。 人間は変われるものだ。」 「私は(社長として選手達に)、 <がんばります。>や、 <がんばったんですけど…

    【 追悼:三沢光晴の生き方 】:理想主義者/ 馬場イズムの継承。 - mimi-fuku通信
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    SW-2 2009/06/15
    主役・脇役を設定し自分が光ることで試合を完結する『猪木イズム』。相手を光らせることで試合を成立させる『馬場イズム』。
  • 三沢光晴 - Wikipedia

    三沢 光晴(みさわ みつはる、1962年6月18日 - 2009年6月13日)は、日の元男性プロレスラー。名:三澤 光晴(読み同じ)。北海道夕張市出身、埼玉県越谷市育ち。血液型O型。1981年に全日プロレスにてデビューし、同団体のトップレスラーとして活躍した後、2000年にプロレスリング・ノアを旗揚げした。 1962年6月18日、北海道夕張市に生まれる。父親は北海道炭礦汽船に勤務していたが、三沢が生まれて間もなく夕張炭鉱が閉山同然の状態となったため、一家は埼玉県越谷市へ転居した[8][9]。そのため、三沢に北海道での記憶は全くないという[10]。三沢の母親は「樹」という文字が好きだったため「秀樹」と名付けるつもりだったが、父親がそれを無視し、当時のテレビドラマの主人公だったという「光晴」名で勝手に出生届を出してしまったため「光晴」と名付けられた[11]。 三沢は子供のころから体が大き

    三沢光晴 - Wikipedia
    SW-2
    SW-2 2009/06/15
    三沢はかつて全日本のNo.1,2,3であった、ジャイアント馬場、ジャンボ鶴田、天龍源一郎の三人からピンフォールを奪った唯一の日本人レスラー。ただ馬場の時は「親子喧嘩に勝っただけって気がして、切なかった」と。
  • 「ROOKIES(ルーキーズ)」が教えてくれた手前味噌の味:日経ビジネスオンライン

    2002年の11月から2008年の年末まで、私は「読売ウィークリー」という週刊誌で、6年間にわたってテレビ批評コラムを連載していた。 というよりも、当コーナー自体、「読売ウィークリー」の休刊を機に始まったもので、この仕事に取り組む以前、私は、毎週、テレビについてなにごとかを書いていたのである。 仕事場を変えて以来半年、私は、ウソみたいにテレビを見なくなった。 なるほど。 もともと、たいして好きだったわけでもないのだな。 別の言い方で言えば、私は、去年までの6年間、もっぱら難癖をつけるためにテレビを見ていたわけで、そう思ってみると、あの連載が終わったのは、正解だったのかもしれない。 好きでもないものの欠点をあげつらう仕事を6年も続けることは、健康に良くない。 仮に私が、テレビ現場に関係のある人間で、テレビについて改革の意欲なりプランなりを持っていたのなら、批判を繰り返す意味も若干はあったと思

    「ROOKIES(ルーキーズ)」が教えてくれた手前味噌の味:日経ビジネスオンライン
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    SW-2 2009/06/08
    ルーキーズやミスターブレインの宣伝は、番組を丸ごと乗っ取るカタチで敢行されている。一日中朝から晩まで、十個ほどの番組をドミノ倒しで軒並みに呑み込みながら。
  • http://blog.jicoo.com/archives/1038639.html

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    SW-2 2009/06/08
    世界最速でワールドカップ出場を決めました!世界最速ですよ!頑張れ、日本代表!
  • SMAPのリスクコミュニケーション

    録画を消してしまって、youtube に上がってた録画は瞬殺された。以下うろ覚え。 番組冒頭は復帰と謝罪の挨拶。全員黒ネクタイというのは、ドレスコードとしてのまじめさを強調したためか。「シングルノットだな」というのが気になった。ネクタイの結びが小さいというのは、ジャニーズアイドルにしては珍しいような気がした こういうときにはもちろん、「泣くファン」というのはお約束なんだけれど、鳴き声はむしろ、抑制されているように聞こえた。「あれがうるさかった」という意見もたくさんあったみたいだから、そのへんは分かれるかも 復帰ライブ。「ありがとう」という曲で始まった、この言葉が、番組の縦糸になっていたような気がするライブ後、たぶん編集なしの会話。稲垣吾郎が「メンバーが欠けた経験は始めて」と語った直後、木村拓哉が「俺たちは2度目だったけれどね」と振った。あれはすごいと思った中居君が「ちょっと! ちょっと!」

    SMAPのリスクコミュニケーション
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    SW-2 2009/06/04
    アドリブ芸の鉄則「相手のやったことを絶対に否定しない」。ユースケサンタマリアの「剛がやらかしましてね」という言葉の感覚、あるいは太田の「悪い奴ばかり」という言葉の感覚
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