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テレビと考え方に関するSaitohのブックマーク (2)

  • この20年くらいのことを考えてみた

    26歳、都会育ち。ふとこの20年くらいのことを考えてみた。 どの時代にも流行廃れはある。 たまごっち、ファービー、厚底ブーツ、ミニ四駆、ベイブレード、ビーダマン、ハイパーヨーヨー… そうゆうものを懐かしむのも楽しいんだけど、この20年くらいで圧倒的に変わって普及したものっていくつかある。 パソコン、インターネット、携帯電話なんてのはもう言い古された話だろうし、 ブラウン管が消えて液晶テレビの普及、ビデオデッキも消えて今やDVDやBlueRayだっけ(あんまり使わないからよく知らない)。 ポケベルなんてあっという間に消えた。白熱灯も消えた、LEDが世の中に爆発的に増えた。信号機が薄くなった。 地面がアスファルトだらけになった。レンガできれいに整えてある歩道なんてのも増えた。 道路の白線が増えた。白線がなく、路肩のない道路なんていくらでもあった。うちの地元なんてわざわざ交差点の地面の色がかえて

    この20年くらいのことを考えてみた
  • 人生は、必ず「やりかけ」で終わってしまうものだから。 - いつか電池がきれるまで

    人生というのは、誰にとっても、いつ、どんなタイミングで終わったとしても「やりかけ」になってしまうものだ。 最近、一冊ののことを、よく思いだす。 僕は、一度も読んだことがない。 というか、あれこれ思いだしてしまうのが怖くて、読むことができない。 もう、20年近く前の話だ。 当時、僕の母親は重い病で入院していた。 治る可能性が限りなく低く、病勢はどんどん進行していった。 家族の一員としての立場と、医療の世界にいる人間としての客観的な状況認識のあいだで、なんだかとてもいたたまれない日々を過ごしていたような気がする。 忘れてしまったのか、忘れてしまいたいのか、詳細は、もうあまり覚えていないのだけれども。 病床で、母親は僕に、ひとつの頼みごとをしてきた。 「このあいだ、テレビで紹介されていたを読みたい。『いしのなんとか』というような題名だったと思うのだけれども……それが面白そうだったから」 母は

    人生は、必ず「やりかけ」で終わってしまうものだから。 - いつか電池がきれるまで
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