タグ

ブックマーク / fujipon.hatenablog.com (3)

  • 「罪をつぐなう」ということ - いつか電池がきれるまで

    観ていたワイドショーのなかで、『絶歌』の発売について、街の人の声をきいていたのです。 そのなかで、「罪もつぐなっていないのに、こんなふうにを出すなんて……」と答えていた人がいました。 そうだよね……と思いつつも、僕はふと考えたのです。 いったいどういう状況になれば、「少年A」は「罪をつぐなった」ことになるのだろう?と。 いまの世の中の慣習としては、罪に対して、刑務所で服役したり、罰金を払ったりすれば「罪をつぐなった」ということになっています。 その後は、基的に、外部から何かを強要されることはない。 もっとも、「少年A」は、犯罪をおかした年齢が低かったので、当時の少年法にもとづいて裁かれ、刑務所で服役してはいないのですけど。 現実には、それとは別に「刑務所帰り」に対する偏見のような「社会的制裁」もあります。 「人を殺したことがあっても、刑務所で服役して帰ってくれば、『罪をつぐなった』から

    「罪をつぐなう」ということ - いつか電池がきれるまで
  • 人生は、必ず「やりかけ」で終わってしまうものだから。 - いつか電池がきれるまで

    人生というのは、誰にとっても、いつ、どんなタイミングで終わったとしても「やりかけ」になってしまうものだ。 最近、一冊ののことを、よく思いだす。 僕は、一度も読んだことがない。 というか、あれこれ思いだしてしまうのが怖くて、読むことができない。 もう、20年近く前の話だ。 当時、僕の母親は重い病で入院していた。 治る可能性が限りなく低く、病勢はどんどん進行していった。 家族の一員としての立場と、医療の世界にいる人間としての客観的な状況認識のあいだで、なんだかとてもいたたまれない日々を過ごしていたような気がする。 忘れてしまったのか、忘れてしまいたいのか、詳細は、もうあまり覚えていないのだけれども。 病床で、母親は僕に、ひとつの頼みごとをしてきた。 「このあいだ、テレビで紹介されていたを読みたい。『いしのなんとか』というような題名だったと思うのだけれども……それが面白そうだったから」 母は

    人生は、必ず「やりかけ」で終わってしまうものだから。 - いつか電池がきれるまで
  • 「イオンモールは、画一化されていてイヤ」 - いつか電池がきれるまで

    先日、ひとりで東京に行く機会があって。 平日に1泊、自由になるのは、到着日の夕方からと、翌日の朝からお昼まで。 結局、美術館めぐりと、ずっと行きたかった、藤子・F・不二雄ミュージアムを巡ってきました。 それはそれで、すごく充実した時間を過ごせたのだけれど。 僕は生まれてから東京に住んだことが一度もありません。 というか、人口100万人以上の「都会」に長い間住んだこともないのです。 人口数十万人程度の地方都市に生まれ、同じような規模の町を何度が転居し、社会人になってからも、人口数万人~数十万人の地方都市を転々としています。 大学に入るときには、東京に憧れてもいたのだけれど、まあそれは、いろんな事情(というか、偏差値とか、僕の人ごみ嫌いとか)があって、実現しませんでした。 中高生くらいのときには、東京に憧れていました。 東京には、近所の書店には並んでいないような面白いがたくさん並んでいるはず

    「イオンモールは、画一化されていてイヤ」 - いつか電池がきれるまで
    Saitoh
    Saitoh 2013/11/07
    海外に行ったときにこの内容は身につまされます。宿泊先から近い個人商店で買いするより名の通った店で買い物し、ドリンク1本にしても日本でも知ってるコンビニに入りますから、とても興味深い意見です。
  • 1