ブックマーク / blog.szk.cc (143)

  • 0311-0508 « SOUL for SALE

    2023年5月8日をもって、この3年、日社会を統制していた「コロナ対策」は、特別扱いされることがなくなる。勤め先の大学でも先だって、この日をもって「コロナ特別対策部」が解散され、すべての制限が撤廃されるというアナウンスがあった。「コロナ対策の終わり」と「コロナの終わり」はまったく別のものだろうけれど、両者を同じものだと受け取る人は少なくないだろう。 学生ですし詰めの満員電車や、観光地の長蛇の列を見ていると、ああ、この3年はほんとうに非日常だったのだなと実感する。人のいない京都のお寺や美術品をじっくり見て回ることができたのはありがたかったけれど、「あれはあれでよかった」なんて到底言えない。そのくらい、苦しいことだとか、永遠に失われたものが多かった3年だったと思う。 大阪大学のグループの研究によると、「新型コロナ感染禍に接した直後(2020年1月)の心理を1年後に回顧させると、過小評価する

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  • ひらめきのことば探し « SOUL for SALE

    47歳の誕生日は、この数年でもなかったくらい、複雑な心境だった。自分の人生を振り返ると5年おきくらいに大きな転機が訪れるのだけれど、昨年秋から今年にかけての半年くらいの間、「もうこれまでの自分とは考え方も、やり方も変えなければいけない」という確信が日に日に強くなり、その新しい姿を求めて悩み、考え抜く時間がすごく多かったと思う。 実際、この春からとある企業の顧問に就任したり、その他にも新しいプロジェクトが始まったりしたこともあって、その「転機」は頭の中だけのことではなく、縁あって実際的なこととしても起きたのだけれど、それによって、これまでの自分の価値観や考え方の中にあった迷いや甘さのようなものを捨てなければいけなくなっている。 LifeのPodcastでも話したことだけれど、特にこの半年は、スピリチュアルな言葉を参考にすることが多かった。オカルトという意味ではない。そもそも合理的に考えたり解

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  • 忘却について « SOUL for SALE

    1年間の締めくくりの日には、いつも自分が死ぬ日のことを考えるようにしている。今日でもしも自分の人生が終わるとしたら、そのとき自分は何を思うのか。世界のすべてに別れを告げなければいけないとして、そのときに何を言うのか。 二十歳くらいの頃から毎年そんなことばかり考えていたら、いつの間にか歳をとってしまった。死ぬとか死なないとかいう話がどんどんリアルになる。「もしも」の話ではなく「いつか」の話として死を考えなければいけなくなる。 とりわけ今年は、夏に母が他界したことも大きかった。体調を悪くしてから亡くなるまであっという間だったし、直前まで元気だったことを思えば、人はいつも突然にいなくなるものだなあと思わされる。何度も心のなかで繰り返してきた「朝には紅顔ありて暮には白骨となる」という言葉も、実感を持って刺さってくる。 考えたのは、肉体の死ではなく、精神的な死のことだ。もっというと「忘却されることに

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    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2023/01/01
    “できたらあなたにとって今年が、素晴らしかった日々だけでなく、ゴミ箱に放り込んだもののことも思い出して、少しだけ胸がきゅっとする、そんな出来事にも満ちたものであれば”。
  • 愛にできることはまだあるか ー 『すずめの戸締まり』をめぐって « SOUL for SALE

    公開直後に観に行って、ほんとうに声を上げて泣く寸前まで嗚咽したのが、新海誠の最新作『すずめの戸締まり』。過去2作と比べてもエンターテイメント性の高い、アクションありコメディあり感動ありの高い完成度には舌を巻いたし、ものすごいスクリーン数で公開されていたことを考えても、興行収入は記録的なものになるだろうという印象を持った。周囲に聞くと人によっては「難しい」という声もあったのだけど、公開直後から良質なレビューブログもたくさん書かれていたので、以前のような考察を書くほどでもないかなと思っていた。 ただ、少し時間がたってあらためて振り返ってみると、自分の気になっていた点について論じている人があまりいなかったことや、それが自分自身の考えてきたこととシンクロする論点であることにも気づいてきて、それならば、と少し書いてみることにした。以下では作品へのネタバレを含むものの、作品そのものへの批評や感想ではな

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    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2022/11/24
    生きたいという願い。人を救うのは人か。
  • 音楽に政治を持ち込む « SOUL for SALE

    調べてみたら2014年以来8年ぶりだった、サマーソニック2022。普段は音源で「聴くだけ」の海外アーティストが多数来日ということもあって、これは行くしかないと意気込んで参戦。お目当てのステージを何度も行き来するハードなタイムテーブルだったけど、ものすごく満足できる内容だった。 この8年、またはコロナ前と比較して大きく変化したこととして、エンターテイメントと政治的なものの関係がある。アーティストたちはステージで、SNSで、自分たちの政治的なスタンスを表明するようになった。社会全体としても、価値観をめぐる議論が沸き起こることが多くなった。 今年のステージでは、リナ・サワヤマが自身の曲を紹介するMCでLGBTQの権利に言及。日がG7の中で唯一、同性婚を認めていないこと、セクシャル・マイノリティをからかうようなジョークを言わないこと、自分たちと一緒に戦ってほしいということを訴えていた。続いて登場

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    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2022/08/23
    「自分はどうなのか」を問い続けることだけは、忘れちゃいけない。
  • 意見を持つということ

    社会調査や世論調査をめぐる、ひとつの興味深い議論がある。 それは、「誰も聞く相手のいない状態で表明された意見を、どう考えるか」というものだ。 僕たちはたいてい、何かの意見を表明するときに、どんな相手が聞いているのかを意識する。不特定多数に聞かれる場面では、できるだけ主張をマイルドにしたり、批判されそうな意見を言わないようにしたりする。逆に、自分と同じような立場、同じような意見をもつ人ばかりだと思える場面では、他の場面より強くそのことを主張するかもしれない。つまり、相手が誰であるかによって、僕たちの言うことは変わる。 さらに、その意見は自分と相手との関係や、自分の信念の強さや態度の明確さにも関係する。上司から「最近の新入社員は心が弱いよな」と言われたときに、部下が「ほんとにそうですよね」と同意したとしても、それは相手が上司であり、自分には新入社員についての強い意見がないことの現れかもしれない

    意見を持つということ
    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2022/04/21
    対話は態度を変える。
  • 仕方ないなんて言わない

    もしかしたら、あれが生涯で最後の瞬間だったのかもしれない。ふと、そんなことを考えた。コロナで途絶えてしまった飲み会やイベント。誰かと話をしたこと。悔しくて涙が止まらなかったこと。自分は無敵だと思えた瞬間。あれもれこも、あのときが最後だったのかもしれないと。 懐かしいとか戻りたいとか、そういうことじゃない。すべてのものはいつかなくなってしまう。だからこそ、愛おしいとか美しいと思えたその瞬間を、永遠に記憶していられるくらいのつもりで全力で生きようと思っている。ただそれでも、あの瞬間はもう来ないのだという事実は、時間の流れの前に抗うことができる人間はいないという真理は、やっぱり体のあちこちを軋ませる。ちゃんと、明日死んでもいいと思えるくらいの今日を生きられているだろうか? 先日、沖縄に行く機会があって、いくつか戦跡をめぐった。おとなになってからそうした場所を真剣に見て回るのが初めてだったのですご

    仕方ないなんて言わない
    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2022/04/17
    “他人の行動や思考を制約することなく、自分ひとりで自由でいられるか、そんなおとなでいられるかを試されている。”
  • 奪った時間を売る方法?

    人から奪った時間は高く売れる。民放テレビ局の平均年収が異常に高い、あるいは一部のYoutuberの年収がトンデモないことになっているのはそういうことです。奪われた側はどうなるかというと見ての通りです。ホッブズ的に言えば現在の様相は「万人による万人の時間の奪い合い」です。 — 山口周 (@shu_yamaguchi) April 9, 2022 あとに続く議論も含めて考えると、じっくりと考えるべき論点はたくさんある。一方で、「人から奪った時間は高く売れる」という最初に提示された命題は、それ単体で検討するに値するものだとも思う。僕自身、時間と消費の関係についての著作があるくらいなので、せっかくだから思いついたことをいくつか書き連ねてみたい。 時間を奪うということ まず、命題を要素に分解しよう。この命題は「人から奪った時間」が主語になり、それが「高く」「売れる」という修飾語、述語につながっている

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    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2022/04/15
    誰もが時間を買っている。
  • 理念を共有するパワー

    学者が論文を書くときのプロセスにはいくつかのパターンがある。先行研究を広く批判的に読み込んだ上でリサーチ・クエスチョンを立てるというのが正統派のやり方だと思うのだけど、僕が好きなのは、先行研究と最新の事例や現象を組み合わせて、既存の枠組みをアップデートするような研究だ。なので、書いたときにはまだはっきりしなかったけれど、あとになって振り返ったときに、この指摘はいまのこれを示しているのではないか、と思えてくることがある。 たとえば『ウェブ社会のゆくえ』(2013)は、後にポケモンGOが登場した際、現実空間と情報空間の関係を表す理論枠組みとしてたびたび言及されたし、社会学の教科書で書いた「グローバリゼーション」(2017)は、執筆時点でまだ起きていなかったトランプ現象やブレグジットの背景とされた、格差が生み出すグローバリゼーションへの反発を主題としていた。書いた方は、あまり自分の論考を振り返る

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  • 「プーチンの戦争」のユニークさ

    2022年2月に発生したロシアによるウクライナへの軍事侵攻は、国際関係論、あるいはグローバリゼーション論の観点から、非常に多くのユニークな要素を持っている。現在までのところ情勢は不安定であるだけでなく、侵攻したことそのものだけでなく、様々な点で専門家の予想を裏切る事態が起きていて、起きていることを意味づけたり、今後を予測したりするのは容易ではない。しかしながら、そうした「予想外」も含めて、現段階で言えること、考えられることを残しておいて、状況の変化を見極めることも重要だろう。というわけでこのエントリでは、ここまでの流れで見えてきている、今回の出来事のユニークな点を挙げておきたい。 (1)はじまりも終わりも不合理な戦争 まず国際関係論の専門家を困惑させ続けているのは、今回の軍事侵攻がどう見ても不合理である点だ。ロシアの思惑は、どうやら電撃作戦によってキーウ(キエフ)を陥落させ、ウクライナに傀

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    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2022/03/12
    「国家と資本主義と平和」の複雑な関係。
  • 下り坂の世界のケア

    ケアについての議論が流行している、と思う。背景にあるのは、フィジカルなものであれ、メンタルなものであれ、ケアの必要性を感じている人が増えていること、さらにその奥の、この社会全体が「衰退のプロセス」にあることだろう。沈みゆく船で「マイナス幅を減らすだけの仕事」を頑張れる人は、そんなにいない。 問題は、ケアする側とされる側の不釣り合いな関係だ。ケアされたい人の数に比して、ケアしたい人の数は少ない。しかもケアのようなサービス労働は、機械化などによって生産性を高めることが難しい。ひとりの話を聞くのに面談で1時間かかっていたものがオンライン面談に切り替えて10分ずつ6人と面談できるようになって効率がよくなったと言われても、ケアの質が上がったとは言いきれないだろう。 ケアが必要な人は増えていくのに、それを担う人は増えない。その解決策のひとつとして注目されているのが「ケアしあう」関係だという。たとえば男

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    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2022/02/10
    上げるリーダーとケアしあうチルな現場という関係を構築できるか。
  • 「外野の野次」との付き合い方

    自分自身もそうなのだけど、周囲からも、ネットやSNSを見なくなったという声を聞くことが増えた。もともとROM専(見るだけで発言はしない人)の割合が諸外国と比較して高いのが日のネット文化の特徴だけど、「見るに値する情報」がめっきり減ってしまったということの現れなのかもしれない。 実際、世の中はどこでもささくれ立っているから、流れてくる話題も、日々の感染者、それを受けての政治に対する文句、誰かと誰かの仲違い、炎上した芸能人、美容広告、事件、事故と、喜怒哀楽の中でも感情に偏りの激しいものばかりだ。こういうとき、何か言ってやりたくなるような話題こそ気をつけろ、と大学のときに授業で聞かされていなかったら、あるいはコメンテーターとして「何か一言」を求められるような立場にいなかったら、おしゃべりの好きな僕はいろんなことに首を突っ込んで燃えていたかもしれない。 そもそも、なんだってこんなに疲れることをし

    「外野の野次」との付き合い方
    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2022/01/28
    部分を見て全体を投げ出さないこと、話が通じる人は見えているよりずっとたくさんいると思うこと。
  • 2021年の音楽を振り返る

    再開されたからこその苦しみ 2021年も、昨年に引き続きコロナに翻弄された音楽業界だったと思う。昨年よりはリリースも増えたものの、多くの曲の歌詞に「延期」や「中止」といった言葉が直接的、比喩的に盛り込まれ、リスナーに届けるエンターテイメントというよりも、アーティスト、あるいは業界全体の苦しみを共有したいという思いがあちこちで見られた。 実際、去年よりは今年の方が苦しかったという印象はぬぐえない。ライブは再開され、大規模イベントも、様々な制約の中で開催されるようになった。だがそうやってボールが主催者、アーティスト側に投げられたことで「どこまでが許されるのか」を考えることも、彼らの役割になったのだ。緊急事態、自宅療養、アーティストへの感染などの話題が続き、「ギリギリまで悩んだのですが」というツイートを何度も目にした。何年も好きだったアーティストが、何組も活動を休止した。 だからこそ、というわけ

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  • 対面の再開と対面の強制

    対面授業は再開されていないのか 大学では、後期(秋学期)がスタートする時期になっている。勤め先でも8月からワクチン接種が始まり、いまがちょうど2回めの時期ということで、副反応を理由に欠席する学生も多いようだけれど、夏休みの時期よりはキャンパス内もにぎやかになってきたように思う。 このように書くと、大学は再開しているのかと思う向きもあるかもしれない。しているとも言えるし、まだまだとも言える。毎日新聞が報じているように、ワクチン接種を進めている大学の中でも、スタートが遅れたことや緊急事態宣言下であることなどを理由に、後期のスタートから全面再開とはいかないのが実情だ。 ただ、ここで注意しなければいけないことがある。同じ記事にもある通り、ゼミや実習といった対面で開講することが望ましい科目については既に学内での受講が可能になっているということだ。これは勤め先に関して言えばこの春からずっとそうだし、昨

    対面の再開と対面の強制
    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2021/09/27
    「あってもいいもの」が残せないのだとすれば、それは安全とは別のレベルで、社会が何かを失っていることの現れ。
  • 「負け戦」に立ち向かう

    政府への不信が直接の原因ではない 3度めになる緊急事態宣言が出されて1週間。大型連休と重なることもあって宣言のアナウンスメント効果も期待されたが、現実には感染防止どころか、むしろ拡大する傾向にある。人々の行動抑制に対する効果のタイムラグを考えても、今回の「宣言」とそれに伴う措置が成果を挙げられていないのは明らかだ。 どうしてこうなってしまったのだろう。ネット上では、行動制限を促す一方でオリンピック開催に向けて突き進む政府の方針の一貫性のなさに呆れ、「もう従うだけバカバカしい」という声も散見されるようだ。だが、「政府の方針」と「行動を抑制する人が増えない」ことの間に、直接的な因果関係を見るのは難しい。来、このふたつは独立の出来事であり、「政府は危険だと言っているが、コロナなんてただの風邪なのであり、感染防止なんてしなくてもいい」と考えない限り、両者が論理的に結びつくものではない。 東京都の

    「負け戦」に立ち向かう
  • 美しさについて

    45歳になる今年、『シン・エヴァンゲリオン』を見ていて強く感じたのは、自分の年齢だ。大学院の研究室で出会ったゲンドウとユイの間にシンジが生まれたとき、ゲンドウが30過ぎだとすると、少なくともテレビシリーズにおけるゲンドウの年齢は40代半ば。当時すでに二十歳そこそこだった僕は、シンジに共感まではできなくとも、ミサトさんですら「大人」の側だった。なのに、気づけばゲンドウと同世代になってしまっていた。そして困ったことに、あの頃のまま、人との距離のはかり方に悩んだり、人に期待しては傷つくことを恐れたりと、思春期マインドの真っ只中にいまもいる。 今年は物書きとしてデビューして20周年とか、Lifeを始めて15年とか、気づけば大学勤めも13年目の干支も2周目とか。特にいまの仕事は春がくるたびに環境がリセットされるループの世界だから、「サイクル」というのをすごく強く意識する。若者だった教え子たちはすっか

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  • ウィズコロナの大学生はどうなるのか

    「対面の再開」と大学 コロナに翻弄され、学びの環境が激変した大学の2020年度が終わりを迎えようとしている。あと数日もすればキャンパスはまた新入生を迎えることになる。報道によれば少なくない割合の大学が「対面中心」の新年度を迎えるようだ。「中心」と言っても人によって受講している授業が異なるので、対面授業の割合をカウントすることに意味はない。ただ、昨年のように入学直後からキャンパスに入れず孤立した状態でオンライン教材と格闘するという事態は、学生にとっても教員にとっても避けたいところであるようだ。 自分の勤め先についても、ウィズコロナ時代の学びの情報環境構築に向けた取り組みは随分進んだように見える。ネットワークインフラの増強、動画素材の撮影・編集・配信のスキルや学生のITリテラシーの向上によって、「オンラインの長所を生かした学び」を提供したり享受したりする余地も増えた。1年前には「スマホしか持た

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    SasakiTakahiro 2021/04/11
    「バイトとサークル」の時代の終わり。
  • 新刊案内『いま私たちをつなぐもの』(山田義裕、岡本亮輔編)

    山田義裕、岡亮輔編『いま私たちをつなぐもの 拡張現実時代の観光とメディア』で分担執筆を担当しました。第2章「オンライン・ツーリズムと観光体験」(P22-40)が担当箇所になります。 普段、分担執筆について告知することは少ないのですけど、今回は感慨深いところもあるので少しだけ。執筆したのは、オンライン・ツーリズムというコロナ禍で生じた新しい事例を、メディア理論や社会学の古典と突き合わせながら検討するというもの。依頼をいただいた当初は、書成立の元になっている北海道大学の研究会でお話させていただいた内容のリライトでいいかなと思っていたのですが、どうもそういう呑気な状況ではなくなっていたこと、執筆期間が春学期中と予定されていたものを、オンライン授業の対応で夏まで遅らせていただいたので、どうにかそれまでに書き上げなければいけなかったことなど、ない知恵を絞って、誰にも先の読めない出来事について考え

    新刊案内『いま私たちをつなぐもの』(山田義裕、岡本亮輔編)
    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2021/02/10
    オンラインで旅する時代の観光学。
  • 続・社会学は何をしているのか

    以前のエントリで触れたように、社会学という学問は往々にして誤解にさらされるものだ、と、当の社会学者自身が思っている。社会学が他の学問より誤解を受けているという証拠はないけれど、少なくとも研究対象になるものが、専門家以外でも触れることのできる、多くの人が経験したことのある出来事だからこそ「社会学者の見方は間違っている」と非難されることが多くなるのは確かだろう。その非難は、学術を専門としない当事者だけでなく、同じ対象を扱っている他分野の研究者からなされることもある。 たとえば昨年開催された日社会学会におけるシンポジウム「社会学への冷笑と羨望――隣接分野からのまなざし」は、そのような他分野からの視点を学会的に取り入れようという意欲的な試みで、僕自身は参加しなかったのだけれど、とても刺激的なやりとりがあったようだ。学会員向けのニュースレターによると、環境経済学の専門家から指摘されたのは、環境問題

    続・社会学は何をしているのか
  • 2020年の音楽を振り返る

    音楽が傷ついた1年 もしも2020年にインターネットがなかったら。コンテンツを無料で見られるところで公開するなんてありえない、という時代だったら。それはもう大混乱だったと思う。新曲をプロモーションする場はテレビにしかないのでヒット曲は極端に偏り、ライブ興行のできないインディーズバンドが苦境に立たされ、ファイル交換ソフトで新曲のリリースなんてことになってたかもしれない。たとえばいまが2000年代だったら。 幸いなことに2020年になるまでに、音楽が人々に届けられる環境のDXはかなり進んでいた。音楽配信はサブスクリプションが標準化され、今年は複数の大物アーティストの楽曲がサブスクリプションで配信(「解禁」という言い方は好きじゃない。誰も禁止なんかしてないもの)されるようになり、YouTubeにアップされたPVは、作り込まれたアニメ調で情報量が多く、それを深読みするファンの存在もあってコンテンツ

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