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ブックマーク / www.tufs.ac.jp (2)

  • グループC発表:ヨーロッパにおける言語教育の発達 東京外国語大学(TUFS) 川口裕司研究室

    ヨーロッパの言語教育 グループC : 原 拓充、川崎 緑、小藤紘稔 2001年12月7日(金) 題名の通り、Cグループは、言語教育についての発表を行いたいと思う。しかし、中世の言語教育についての資料は乏しく、その点について深く述べることが出来ない。従って、この発表では、少々切り口を変えて、ヨーロッパの言語教育の移り変わりについて大まかに説明したいと思う。 �@ 古代と中世 ローマ帝国の創業以前、ローマ人は第2言語としてギリシア語を学んだ。しかし、ローマ帝国の版図が拡大するにつれ、他の諸民族がラテン語の学習を始め、遂にはラテン語がヨーロッパ諸国の国際語、教会や政府の言語となり、また学問のための唯一の言語となった。その為に、ヨーロッパにおける言語教育の最初の関心事は、ラテン語教育に関するものであった。中世を通じてラテン語は教育のための言語であり、故に教育はラテン語文法にほぼ限定されていた。が、

  • 中世の娼婦(東京外国語大学(TUFS) 川口裕司研究室)

    中世の娼婦 はじめに Fabliaux(ファブリオー)の時代である13世紀後半~14世紀前半とは女性に敵対的な都市中産階級繁栄の時代でした。カペー朝(987~1327年)の時代、1180年フィリップ二世即位すると、中世・聖職者階級(教会)は「女性は質的に劣等である」という観念につながる教説を確立しました。ヨーロッパ文化が発達し、支配者の権力が増大するにつれて、教会の与える懲罰は世俗の法律によって強化されたのです。 I)売春統制の流れ 1198年には 教皇インノケンティウス三世「娼婦を改心させるように努力すべきだ。」と言いました。そして1209 年には、娼婦と結婚するものすべてに罪の許しを与える(最後の審判で罪が軽減される)という勅令を出したのです。1227年には 教皇グレゴリウス九世が聖マリア・マグダレナ修道会(娼婦の収容施設)を承認し、そして1254年にはルイ九世が売春根絶を試みました

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